戦争と個人の責任を考える

小田実「難死の思想」岩波現代文庫、2008年発売(初出1965年1月号『展望』その他は1976年まで他の雑誌などに書かれたもの。彼の33才から43才のころの評論集である。)

小田実は29歳の時に発表した「何でも見てやろう」で有名となった。その後は「べ兵連」という名で知られている活動を通して市民運動家のように見られている。しかしある時にぱったりとメディアからは消えていたように見えた。突然夜の討論番組か何かでテレビに出た小田実を見てえらく老けたなとは思った。彼は2007年に亡くなる。(1932年生まれだから享年75才)その後気になっていたので、彼の著作は少しは読んだ。小説は全く読んでいない。解説によると彼の小説は海外では評判であるという。

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永遠平和のために

イマヌエル・カント「永遠平和のために」中山元訳、光文社古典新訳文庫、2006年初版(原著は1795年)

なぜこの本を読むか。

まずカントの本はむつかしい。突然抽象化が始まる。それも極端でさりげなく飛躍していくので訳が分からない。実践理性批判などの批判論文などは歯が立たない。しかし、この本はやさしそうに見えるしかつ短い。それでカントの本は一冊でも読もう、ということとこの表題となっている、理想主義的なテーマから一度は読んでみたい本の一つであった。また中山元訳は読みやすそうである。

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大岡昇平「少年」(自伝)に表れる東京渋谷、青山、高樹町そして少年の惑い。

大岡昇平「少年」講談社文芸文庫、1991年(初出1973から1975年、文芸展望連載)

この本は、この4年前に「幼年」というのを書いている。その続編であろうが、著者はこの「少年」が本編と思ってくれという。(後書きにある。)

大岡昇平1909年明治42年生まれ、1988年昭和63年没、だから64歳くらいの時の作品という事になる。

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野間宏「暗い絵」を今どう読むのか?

野間宏「暗い絵」新潮文庫、1955年

この本は、雑誌「黄蜂」(丸山真男、内田義彦らの青年文化会議が編集する総合雑誌)1946から47年にかけて発表されたもので平野謙、宮本百合子から絶賛されたそうだ。戦後すぐ書かれたものであり、野間のある意味自伝的要素のある小説という事のようだ。

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「我が心は石にあらず」を読む

高橋和巳「わが心は石にあらず」新潮文庫、昭和46年発行(1971年)初出昭和39年から41年まで雑誌「自由」に掲載されたもの。

この本をなぜ読むのか

この本も吉本隆明と同様、我々の学生時代に超人気作家であった。会話の中にも高橋和巳がどういう事を言っていたとか、という話題になることもしばしばであった。あるいは彼の小説を読んだとか。そういうことがあって私も彼の小説を買ったのはいいがほとんど読んでいない。

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記憶の中のヴェトナム戦争

ヴェトナム戦争全史、小倉貞男、岩波書店、1992年

この本はすでに古いものか、今でも通用しているものかはわからないが、ともかくもヴェトナム戦争というものがどういうものであったか知りたい、記憶にあるヴェトナム戦争と同じなのか違うのか?私の小学生の時代から青年時代にかけての長い間戦争というものはこのヴェトナム戦争であった。「地獄の黙示録」という映画も見た。 “記憶の中のヴェトナム戦争” の続きを読む

ドイツ敗戦の時のハイデッガーの講演

「貧しさ」マルティン・ハイデッガー、フィリップ・ラクー・ラバルト、西山達也訳、解題、藤原書店

時代

この本は、ハイデッガーがドイツの敗北がはっきりした時の1945年6月にある城館で講演した時の、ヘルダーリンの言葉、「精神たちのコミュニズム」、という言葉をめぐって考察されている。

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ナチスの人種主義の淵源はどこにあるか?

ナチ神話、フィリップ・ラクー・ラバルト、ジャン・ルック・ナンシー、守中高明訳

松籟社発行、2002年

ナチ神話

この本は90ページ程度の薄い本であるが言っていることは結構むつかしくややこしい。簡単ではなく複雑であり、何度も繰り返し読まないとわからない個所が多い。訳がむつかしくしている面もある。

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共同幻想論を今読んでみて、、

吉本隆明、共同幻想論、吉本隆明全著作集11、勁草書房、1972年(初出1966年雑誌文芸、単行本としては1967年河出書房新社発行)

この本をなぜ読むか

知り合いからぜひこの本を読んでくれという依頼もある。また学生時代超人気のあった人の代表作でもある。然し私は、この本を読んでいない。というか学生時代か卒業してからか買った本であることは間違いがないが、少し手にして、興味なく読み捨てられていた、というところである。多少最初の方に棒線がひかれているようなところもあり、少し読んだ形跡はある。

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他人の存在について考えてみる

デカルト的省察、エドムンド・フッサール、翻訳浜渦辰二、岩波文庫、2001年(原著1931パリ)

この本をなぜ読むか

現象学という哲学のためには避けて通ることのできない分野である、ということと、ハイデッガーの先生であった、またその後は(ハイデッガーと喧嘩別れしたようだが)ハイデッガー経由かJ・P・サルトルやまたその他世界の哲学者(今は日本でも有名なガブリエル・マルセルやレヴィナスなど)に影響を与えた学者の本であるという事。この人の本はみすずから出ている論理学なども持っているが、読む気力は湧かない。与えられた能力で読めるぎりぎりの本がこの「デカルト的省察」である。というかこの題名からして読めそうな雰囲気をたたえていた。更に岩波文庫である。この本を一般の人が読む必要があるのか。カントの純粋理性批判は岩波文庫で50刷を超えているということだが、まさに、このフッサールの本は教養?のためとしかいえないが、この年になってこのような本を読むことは読力の挑戦でもある。どこまで理解可能か、ダメなら低山趣味でもいいという事にしないとダメだ。

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