小田実「難死の思想」岩波現代文庫、2008年発売(初出1965年1月号『展望』その他は1976年まで他の雑誌などに書かれたもの。彼の33才から43才のころの評論集である。)
小田実は29歳の時に発表した「何でも見てやろう」で有名となった。その後は「べ兵連」という名で知られている活動を通して市民運動家のように見られている。しかしある時にぱったりとメディアからは消えていたように見えた。突然夜の討論番組か何かでテレビに出た小田実を見てえらく老けたなとは思った。彼は2007年に亡くなる。(1932年生まれだから享年75才)その後気になっていたので、彼の著作は少しは読んだ。小説は全く読んでいない。解説によると彼の小説は海外では評判であるという。
難死
これは最初どういう意味か分からなかったが、ヤッフーなどで調べると、戦争や大震災などで庶民が無意味に死んでいくことをさすようだ。小田の造語。
この現代文庫の最初の評論がこの「難死の思想」である。33才くらいの若い人が、いくら頭脳明晰とはいえ政治意識が高く、当時の世界状況などを極めて的確に把握しているという事が目を引く。この33歳の時にはまだ「べ兵連」はスタートしてなかったようだ。
内容
これは、彼の評論の中ではこの考え方でその後もずーっと引き続き追及している考え方なのであるが、「公」と「私」の原理のぶつかり合いの問題を戦争という状況を前にしてどう考えていくのか。これは啓蒙ではない。自分の悩みの中で、自分の言葉を探りつつ自分の頭で考えて書かれている。マルクス主義とかカントやヘーゲルの哲学から発想したのではない。ある意味手作り感のある言葉で書かれているのである。その後に出てくるのは、この「公」と「私」の間を取り持つ考え方に「普遍原理」というのが出てくる。これは、民主主義とか愛とか、平等とかそういう普遍といわれている考え方をさす。
戦争という「公」の状況に「私」が取り込まれてあがらいようもない所に置かれる。彼は大阪で空襲を1945年の8月14日に受けてそこで人々の無残な姿を見出す。そこに「難死」という言葉を作った。彼は小説家でもあるので、個人の問題を重視するのである。ここは非常に重要で世界史なり戦争というのには悲惨の対象としての人々は出てくるが、この歴史的な状況にある意味個人は関係ないとして政治史的に政治の移り変わりを歴史とする人が多いが、彼はその「公」状況の推移について「私」側がどれほどの問題を抱えることになるかをテーマとしている。
また、その民衆の被害者としての「難死」がさらに大きな問題を抱えているのである。それは加害者と被害者問題として取り上げられてくる。
日本人は戦争の被害者としての意識が異常に高く、加害者の意識はほとんどない、という。それはなぜか?小田の目は厳しくてその個人の責任の問題をめぐって、考えがめぐらされる。加害者としての状況の中で被害者となった、と正確に考えられない。もちろん「公」の責任問題は追及されるが「私」の責任問題も同様に追及される。この論文をきっかけとして、「べ兵連」活動が始まったというのもうなづけるところである。
あるところでヒロシマ、ナガサキに原爆を落とした当のパイロットの責任問題を問うところまで行く。然しこれは決して無謀とは言えないだろうと思う。自分のやっていることが国家の命令であれ「私」の原理はなかったのか、という問いである。(ハンナ・アーレントのナチの戦犯裁判の問題までつながる。)
また戦後、日本人の主婦が外地での戦争体験を手記として書いてるものも多い。小田はその被害者意識中心の手記について、その主婦にも加害者という責任があるという視点が全く抜け落ちてることに疑問を呈する。ここに小田らしいところがあるのだろう。
結論として
花崎皐平の本に「ピ-プルの思想を紡ぐ」という本がある。彼は哲学者であるが「人々」の思想を大事にしたい、カントやマルクスから修辞学のように上からやってくる原理的思想に乗るのではなく「人々」の原理に戻って政治を考えようというのがあるが、この小田の本も似ているところがある。自分の頭で自分の目で見て考えていく。まずマルクスの思想があるのでもなくまずカントやヘーゲルの思想があるのではなく自分の「原理」で考えていくという態度を持っているという事だ。そして文庫の帯にあるように「公」の大義ではなく「私」を生き続けるためにである。このある意味柔らかな思想というものが、あの歴史的な「べ兵連」の活動を生んだと言えるだろう。ただ日本人の中にも少なからず良心的兵役拒否の人々がいたのである。そこは彼は触れていない。また彼の論理だと国家対個人のぶつかり合いという事になっていく可能性は強いが、ある意味個人が国家にぶつかるという事、これも実際には歴史的には少なからずあったのである。われわれはそういう数少ない良い例を勉強する必要もあるだろう。
また我々の仕事の中にも「公」と「私」の問題が発生することもある。よく考えて行動する必要がある。