ナチ神話、フィリップ・ラクー・ラバルト、ジャン・ルック・ナンシー、守中高明訳
松籟社発行、2002年
ナチ神話
この本は90ページ程度の薄い本であるが言っていることは結構むつかしくややこしい。簡単ではなく複雑であり、何度も繰り返し読まないとわからない個所が多い。訳がむつかしくしている面もある。
この本は、90ページ程度の非常に薄い本である。ストラスブール大学の哲学の教授二人が共著として出したものである。またストラスブール大学というのはアルザスロレーヌ地方にある有名な大学であるがこの地域というのはドイツになったりフランスになったりドイツになったりと国名がしょっちゅう変わったところであり現在はフランス国に所属している。この地域の方はドイツ語もフランス語も堪能な方が多くて大体がバイリンガルだと聞いている。ライン川沿いの地域である。ついでに言えばマルクスのいたトリーアも大体そういう地域であった。
この本のテーマは、ナチズムの本源的な思想を解明しようとした素描と言えるだろう。つまりナチズムというものが反ユダヤ主義という極端な人種主義と何故不可分であったのか、どうしてそこまでたどり着いてしまったのかというところに焦点が合わせられている。かつそれは、単なる外在的批判の対象としてではなく、我々もまた陥るところのある種の力、誘因力があると考察している。
アーリア人種
この本を読むとわかることがある。アーリア人というのはギリシャ人であるという。古代ギリシャ人だ。ナチズムの目指した思想というのが、基本的にドイツ民族のアイデンティティの探求である。このアイデンティティの源泉はというのは古代ギリシャだった。つまり神話を芸術化する文明発祥の地である世界だ。ドイツはご存じのように神聖ローマ帝国というものがあり、プロイセン主導のもと、これが解体して第一次大戦前までに統一ドイツ国として成立した。しかし、このドイツはいつもコンプレックスを抱えていたのである。というよりコンプレックスを抱えさせられた。第一次大戦の各国の補償要求にこたえる大借金国となっていったのである。つまり、ドイツは破産寸前だったところにこのコンプレックスを打ち破る思想が出てきたのである。これがヒットラーの「我が闘争」である。そしてその考えの背景を描き出したのが「20世紀の神話」ローゼンベルグである。
ドイツは己の文化がオリジナリティのない文化であることに長い間苦しんできている。それはアイデンティティがないからである。ドイツのアイデンティティが本来的にはギリシャであるがそれがフランス経由、またイタリア経由の2番煎じとしてやってくる。
ナチ(ナチス)という呼称
これは調べるとわかるが、ナチスというのは国家社会主義(国民社会主義)ともいう。このドイツ語からナチオナールゾチアリスムスという名前の略称である。またこの国家社会主義というのは、日本でも非常にはやった考え方であり、当時の右翼はかなりこの考え方を取り入れていた。また安倍晋三の叔父の昭和の妖怪といわれた岸信介もこれを勉強している。ナチスとソビエトの国家社会主義は日本に取り入れるべきと考えていたようである。
この書では作者はどの点を重視しているのか
ヨーロッパ的であった
このナチスの出現は必ずヨーロッパの帰着点としてあるという事ではない。しかしナチスの思想は自己の国のアイデンティティの探求であるとすれば各国もそういう思想に揺り動かされることになる可能性があるという事だ。日本は吉本隆明の共同幻想論ではないが、日本は独自のアイデンティティがあったので、ヒットラーのように新しくアイデンティティを作り上げる必要がなかった。恐るべきことに日本は最初から存在したのである。
この本の図式通りに筋道を書くとこうなる。
ナチスはドイツというアイデンティティの追求、ギリシャ文化の中のディオニソッス的な神話芸術に親近感を持っている。もう一つは健全なギリシャ神話、オリンポスの世界。このギリシャの文化に2大潮流があることを作者は指摘しており、その中のギリシャ的には健康的ではないプラトンが排除しようとしたどす黒い、ある意味不健康な神話の方にナチスは偏っていった。ワーグナー、ニーチェ、ハイデッガーその種の神話に乗った。
神話の力
神話の力というものはそれが持っている模範性、この模範性というのは神話は自分たちの生きた例であるという事だ。神話を模倣することによって、自らのアイデンティティを獲得できる。またその神話はそのアイデンティティのための装置である。ドイツの遅れた歴史の回復のためにこのアイデンティティがどうしても必要だった。しかしこのアイデンティティを確定する力がドイツにはなかった。偉大なる芸術に到達しえないというアイデンティティの不在。ギリシャの模倣という事でしかアイデンティティが確定できない。然しそれはドイツのアイデンティティではないというような矛盾をはらんでいる、という2重の命題の中で苦しんだ。
そして神話とは、一個人、あるいは一民族の根本的な力と方向性と力を結集する潜勢力である。デカルトからマルクスまでの近代的知は血肉を欠いた血の失せたアイデンティティである。それは夢見ることのできないものであり、ドイツは夢を見ることを実践する。
神話の真実
夢見ることは自ら夢に加担することである。
夢の何かを血肉化することである。そのことが魂を自由にする。また人種というのはその神話の原理を体現する場である。
特権としてのドイツ人
人種は血に由来する。言語ではなくて。自然の意志のモチーフ。
アーリア人;太陽神話の明るさ。また文明の創造者、生を芸術として理解する、中世の神学者、神秘思想家、エックハルトの理想、神より偉大な人間という理解。こういう認識によってドイツ民族は世界に勝る民族の血を引いているという神話を確立していこうとしたのである。だからこそ雑種的なユダヤ人は排除する必要がある。ドイツアイデンティティの邪魔である。
要するに、遅れてきたドイツのアイデンティティの追及の中で、ナチスはおかれた当時の状況の歴史の中で最大限に神話を活用したのである。神話の持つ力というものが恐るべき潜勢力があったという事である。それも偽りの神話を活用した。神話はフィクションであることを百も承知で。
チョットまとめきれないくらい程論旨が複雑に入り組んでいるが大体このような内容である。要するに神話的な力を最大限利用活用したことによってこうした人種主義的なユダヤ人虐殺までに導かれていったという事である。このことは終わったことではない、と作者は言う。