野間宏「暗い絵」を今どう読むのか?

野間宏「暗い絵」新潮文庫、1955年

この本は、雑誌「黄蜂」(丸山真男、内田義彦らの青年文化会議が編集する総合雑誌)1946から47年にかけて発表されたもので平野謙、宮本百合子から絶賛されたそうだ。戦後すぐ書かれたものであり、野間のある意味自伝的要素のある小説という事のようだ。

今この本を読むとどういう感じを抱くか。

この本の時代背景は日中戦争が始まる直前くらいの時期である。暗い時代の1937年、38年ころの京都帝国大学の学生のある左翼の青年たちの会話や感情や思想などを下宿生活を通して描かれたものである。私自身は下宿はしたことはないが、下宿している友達もたくさんいて学生時代にはその下宿先には何度も行った記憶がある。そういうものとしてみると懐かしい記憶がよみがえる。しかし、時代は違って多くの知識人、あるいは知識人に類する人たちはほとんどが左翼になり戦後すぐに日本共産党に入党した人も少なくない、そういう時代のことである。読売新聞社の渡辺恒夫主筆などはその典型である。戦前の東大や京大などには経済学部などは陳舜臣や邱永漢に寄るまでもなくまともな学生は左翼に走った。野間の場合も同様であった。

ウイキペディアや作家の戦争体験の記事などを読むと野間の場合は、戦争中に左翼だと言われて日本に帰され、獄中で半年ほど過ごすという事があったようだ。

内容

下宿先で友人からブリューゲルの絵画集を借りる。そのブリューゲルの絵画についての主人公の感想から始まる。独白である。これが暗い絵という題名と重なる。ブリューゲルの絵は確かに異様な絵である。(どなたかが書いているが、ブリューゲルの一つの絵について書いたものではなくて絵画集のいろいろな絵を見て感じたことを書いたようだ。)なんと奇怪な狂気じみた絵画であり、これがその当時の絵としてどういう評価であったのかは私としては分からない。どちらかといえばゲルニカのようなピカソの絵といえば雰囲気は伝わるだろうか。然したぶんこの絵は人間と世界を批判し風刺した絵ではないかと思われる。そういうある意味暗い絵である。(ブリューゲルの絵は奇怪な絵ばかりではない。白の使い方がうまくて明るく開放感のある静かな絵もかく。)そこに青年の主人公はひかれるのである。

これがある意味総てのような小説である。そこから先は、当時の左翼青年の会話である。急進的な人や日和見的な人など多種多様にいて、その種の会話が起こる。はっきり言って今ではその言っていることがわからないだろうと思われる。その中で彼の友達はほとんどが左翼であるという事で検挙され獄中で亡くなったという。(ある意味野間の実体験でもあった。)

そういう会話を夜遅くまでしてから友達と一緒に冬の寒い京都の通りを肩寄せながら帰る会話はいかにも若い青年の会話のようで自分にもあったなという新鮮かつ苦い思い出にある風駅である。然しその肩を寄せ合って帰った友も獄死したのである。そういう悲劇を背景として会話が進行していく。

結論的に

この小説が絶賛されるかどうかは分からないが、戦後のある雰囲気は伝えているだろう。一つはマルクス主義に生きて死んだ人たちの生き方、これは意味があったのか?なかったのか?小林多喜二のような人生はどうだったのかと問われているような気がする。ある意味戦後になって何でも言える時代にこの小説が書かれたとすれば、そのマルクス主義的革命の理論なるものに心中していいのかという疑問がここにあふれているのではないか、と思える。日本の軍国主義に生きそして死んだ人たち、共産主義とともに生き、死んだ人たちどちらも本当の自分を持っていなかったのではないかという疑問である。自分というもの、自分という尊厳ある独立の何にも隷従しない人間として生きる、生きたいそういう叫びがある。そういう言うところに野間の文学的価値はあるのかもしれない。

文章はながれるような文章ではなく彫刻のようにごつごつした感じがする。文章がうまいわけでもない。しかし、そのいかにも若くて力が有り余って言いたいことが多くて口が詰まってしまうような文章が人を惹きつける。

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