転向文学、島木健作、「礎」

島木健作「礎(いしずえ)」1944年11月新潮社から刊行

(「島木健作全集第10巻所収、国書刊行会のものを読む。)

島木健作

ウイキペディアを参考にすると、1903年9月生まれ1945年8月17日没)1925年東北帝大法学部入学も中退、日本農民組合香川県連合会木田郡支部有給書記として農民運動に加わる。1927年ころ日本共産党に入党したようだ。1928年の3.15事件で検挙、1929年転向声明、1930年3月有罪判決、1932年3月肺結核により仮釈放。1934年処女作発表(この時31歳)41歳で亡くなる。

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未完了のキリシタン

福米沢悟著「惨夢、静かに散ったキリシタン大名、蒲生氏郷とその家臣たち」日本図書刊行会、発売近代文芸社、1997年発行

概要

この本は、キリシタン大名であった蒲生氏郷を中心として会津藩主としての彼の生涯と会津のキリシタンの動向および彼亡き後の会津の歴史である。織田信長から徳川幕府までの時代を扱っている。

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「灰とダイヤモンド」から見る東欧の国々

「灰とダイヤモンド」上・下、アンジェイエフスキ作、川上洸訳、原作1948年、岩波文庫1998年

この本は、アンジェイ・ワイダ監督の同名の映画(モノクロ)の原作である。かつて50年くらい前にこの映画を見たことがあり非常に強い印象があった。最後の主人公ががれきの山というか広いゴミ捨て場の原っぱのようなところで、よたよたしながら死んでいく衝撃的な幕切れは私だけでなく多くの人に心の奥底に強衝撃があったのではないか。「灰とダイヤモンド」という表題の言葉を象徴するような最後である。

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歴史総合という新しい?歴史の見方

岩波新書「世界史の考え方 シリーズ歴史総合を学ぶ①」小川幸司編、成田龍一編,

2022年3月18日発行

歴史総合

この本は、今年の高校の歴史の指導要領に近現代史を歴史総合という科目を設置したことにより、今後の歴史教育、歴史の方法論などについて高校の教育現場にある小川幸司をいれて、考えていこうという内容である。歴史総合とは日本史と世界史の統合である。(この歴史総合という話は、神奈川大の的場教授から最近聞いた所である。)

しかし内容は、高校の教育現場という枠を超えて歴史学とは何ぞやというところへ来ている。これを高校の生徒に読ませるというより、教育現場で歴史教育をしている先生方へ向けて書かれたといってもいいだろう。さらに言えば現代の歴史学の急激な変遷に戸惑っている人たちに向けても書かれているといったほうがいいかもしれない。歴史学について現在標準的な考え方をするとすればどういうことになるだろうか、という問題意識にも貫かれているようにも思う。

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秀吉の残忍さ、高山右近の絶対的信仰、バテレンの思惑、タイムスリップだ。

「日本史1 豊臣秀吉篇」 ルイスフロイス著、松田毅一、川崎桃太、昭和52年1977年初版発行

この本の原本はマカオで火事のために焼失したようだ。その後写本が見つかった。その写本である「日本史」を訳者である松田毅一氏らによって完訳された。

この本のいきさつにについては前書きに詳しい。フロイスは生きていた時にはこの本は発行されなかった。その一つの要因は長すぎるが故だということらしい。

中公文庫との違い(多少編集も違うようだ)

この中央公論社のハードカバー版は注釈付きである、なお中公文庫のほうは全部確認はしていいないが注釈はないようである。中公文庫とは翻訳内容は同一であるが、文庫のほうは小さくしただけの本ではない。

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大塩平八郎の乱

「大塩中斎」、宮城公子編集、洗心洞箚記、檄文、1959年発行、日本の名著第27巻、中央公論社

なぜこの本を読むのか

ウクライナの戦争などあり危機の時に学者の評論などたくさん見るにつけ、学者や評論家の本音はどこにあるのかとか、あなたは主体的にこういう時どういう行動を起こしますかというようなことを聞きたくなることがたくさん出てきた。学者や評論家というのはあるテーマだけに絞って出てきていかにも訳知り顔に語るのではあるが、はっきり言ってどうなっていくのかはよくわからないというのが実情だし、

そういう学者や評論家も本当のところはわからないといったほうがいいのだろう。こういう問題が起こった時に知っておくべきことや背景などは学者や評論家の真骨頂となるところである。しかし本質は現実なので、預言者でない限り非常に予測不能であるし、将来を見据えることもできないだろう。学問と現実のせめぎあいの葛藤の中に彼らはいるのか、いないのかなどと考えているとふと、学者だった大塩平八郎がなぜ大阪で大反乱を起こしたかということに非常に興味を覚えることとなった。その彼の陽明学というものに革命的な反乱的な思想が含まれているのか、それともそれとは関係なく指導者としてやむに已まれずの事だったのかとかはっきり言えば彼の動機と彼の学問との関係を知りたくなった。大学の先生で革命を目指す人なんて言うのはほとんどいない。マルクスは学者ではあっても大学の先生ではなかった。大塩も在野の学者だった。しかし公務員として何年か幕府に仕えたのである。それも与力というから今の警察である。基本的には体制側の人である。また陽明学というのも革命の思想ではなく支配体制側の思想であるはずだ。しかし彼特有の何かがあるのかめくら蛇におじず、でこの超むつかしい洗心洞箚記を読み始めた。

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不思議な作家、ボルヘス

J・L・ボルヘス著「七つの夜」野谷文昭訳2011年岩波文庫(原著1980年)

初めに

ボルヘスという人の本は過去には全く読んでいなかった。この本は偶然、かなり薄いので簡単と思って読み始めた。ノーベル賞をもらったのではないかという誤った記憶のもと購入した。ウイキペディアなど見ると賞はいろいろあるがノーベル文学賞ではないようだ。

岩波文庫の表紙
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寺尾誠訳「ルター時代のザクセン」について

「ルター時代のザクセン」K・ブラシュケ著、翻訳、解説、註、寺尾誠、ヨルダン社、1981

なぜこの本を読むのか

・私にとっては非常に関心の深い分野である。またマックス・ウェーバー以来論争の多い分野である。かつてはむつかしくあまりに専門的で、自分には面白くなくて読めなかった。

・慶応の寺尾誠さんが翻訳、私の師事した先生であるが、ゼミの卒業論文が書けなくて卒業できそうもなかった時、卒業してから書けと言われて4単位をもらった。やっと卒業した。このことを突然思い出して、冷や汗が出てきた。大学の入学、落第、卒業がいまだにトラウマだ。このトラウマが消えるわけでもないが、勉強しなおさなければと思う。そういう力が寺尾さんにはある。

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方法としての希望、いまだ、ない世界

エルンスト・ブロッホ「希望の原理」1.2.3巻、白水社1982年、山下肇他訳(原著1959年ズールカンプ社)

今回はこの本の第一巻をほぼ読了したというのでこのブログに載せようと思い立つ。

初めに

この本は私の若いころから一度は読んでみたい本の一つであった。しかし読む機会がこの年まではなかった。歳を取ってからのこの本に向かい合うには少し遅すぎているかもしれない。というのは、翻訳で一巻は大体650ページである。こんなに長い本を読むだけの忍耐力はかなり落ちているといえよう。足が丈夫でも70過ぎた男がマラソンをするようなものである。大変な事になる。しかし読み初めにはそんな大変な山岳が待っているともつゆ知らず、歩いていくうちにあまりに壮大な山でいろんな装備が必要だったということに気が付く。また読解するだけの力量も忍耐力も必要である。専門家であれば違うのかもしれないが、たぶん多くの人はこの本を読了しないでつまみ読みで終えているのではないか、とも思いたくなる。

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