「日本史1 豊臣秀吉篇」 ルイスフロイス著、松田毅一、川崎桃太、昭和52年1977年初版発行
この本の原本はマカオで火事のために焼失したようだ。その後写本が見つかった。その写本である「日本史」を訳者である松田毅一氏らによって完訳された。
この本のいきさつにについては前書きに詳しい。フロイスは生きていた時にはこの本は発行されなかった。その一つの要因は長すぎるが故だということらしい。
中公文庫との違い(多少編集も違うようだ)
この中央公論社のハードカバー版は注釈付きである、なお中公文庫のほうは全部確認はしていいないが注釈はないようである。中公文庫とは翻訳内容は同一であるが、文庫のほうは小さくしただけの本ではない。
この日本史1だけでこのブログを書くのも多少の問題も感じるが、この後この全10巻ほどの発行されたものを全部読む時間があるかと心配になり、部分的にでも感想なり紹介なりをしておくことが必要と思えた。
この本の全体的な面白さ
年代は1580年代の約4,5年程度の期間である。
これは言うまでもなく、ポルトガル人であるルイス・フロイスその人が30年も日本にいて其の見たり聞いたりしたことを事件記者のように詳述している、ということがそのまま面白い。要するにタイムスリップして現代人が豊臣の時代に入り込んだような臨場感がある、というものだ。
この本の内容
秀吉がキリシタンと出会い、初期にはキリシタンを歓迎ムードで接したにもかかわらず、ある日突然反キリシタンとなる。このあたりのことは教科書にあるような内容でもあるが、海外のポルトガルの宣教師にとっては覚悟はしていたとはいえ大変な騒動となったことが詳細に描かれている。自分の部下でもあり戦略戦術の達人であり勇敢な武将でもあったキリシタン大名の高山右近などは追放することになった。また海外からの宣教師は全員日本から離れよということになった。単に、反キリシタンということではなく残酷な仕打ちというものがここに描かれているのである。この本の初期には仏教弾圧というほどの根来衆、雑賀衆という仏教徒の大弾圧から始まり、キリシタン大弾圧で終わる。
なんといってもここに描かれている秀吉は非常に残酷、残忍な独裁者であったということだ。またポルトガルが日本を征服しようとしているとか、日本人を奴隷として売買しているということなどから、日本を救った殿という最近の評価もあるようだが、確かにそういう面を見ようとすればできる面もあるが、これを読むとそういうことが事の一部からしか見ていないことによるゆがんだ史観であることが分かる。こいうことに関してはポルトガル宣教師は一つ一つ反論している。これはフロイスの記事でもわかる。
高山右近
この本で特筆すべきなのは、高山右近だろう。彼の発言がこのフロイスの書いた通りとすれば、高山右近という人は相当に近代人に近いことがわかる。信長の葬式を秀吉の前で執り行った時に、仏教式の葬式では高山右近にも居並ぶ武士と同様の仏教式の儀礼を要求されていたが、彼は全く何もしなかった。この時に切腹を命じられてもおかしくはなかった。キリシタンゆえに断るとしている。これで思い出すのは教育勅語に拝礼しなかった内村鑑三の事件である。内村はこれによって一高をやめさせられ奥さんがそのことにより死に、日本全国住む場所もない状態となった。この高山右近の事件を知るにつけ日本には権力に屈しないで自分の思想を守ろうとした先駆者として内村以外にもこの高山右近がいたということになる。秀吉にバッサリと捨てられても、そういう事が今後起こるはずと思っていたといい、いつでも世俗の地位を捨てる覚悟もあるし、自分の命を差し出すこともいとわないときっぱり言い切る。秀吉にキリシタンをやめるようにすればお前を救えるというようなことも言われ、周りからもそのような進言を受けるのではあるが、まったく聞く耳を持たず、自分の思想、自分の宗教に殉ずる覚悟を表明している。彼にとって権力者は全く怖くなかったのかもしれない。
そのあたりの生々しい発言が非常に新鮮である。
キリシタンという宗教との出会い、宗教間の争い、日本の伝統と思想の闘い、西洋の考え方、あるいは異種の考え方の受容と拒否の仕方、そういうことがよくわかってくるように思える。まだまだ多くの思想、宗教が新鮮であった。この後秀吉は朝鮮出兵に行くことになるが、そこまではまだ書いていない。
今後何巻か読み進むことにもなるが、途中での報告をさらにしていくつもりである。考えさせられることが多い、このキリシタン史である。