転向文学、島木健作、「礎」

島木健作「礎(いしずえ)」1944年11月新潮社から刊行

(「島木健作全集第10巻所収、国書刊行会のものを読む。)

島木健作

ウイキペディアを参考にすると、1903年9月生まれ1945年8月17日没)1925年東北帝大法学部入学も中退、日本農民組合香川県連合会木田郡支部有給書記として農民運動に加わる。1927年ころ日本共産党に入党したようだ。1928年の3.15事件で検挙、1929年転向声明、1930年3月有罪判決、1932年3月肺結核により仮釈放。1934年処女作発表(この時31歳)41歳で亡くなる。

彼の本としては「生活の探求」が非常に有名である。この本は非常に多くの当時の青年たちに読まれたという。昭和13年前後(1939、40年頃)に20代であった人たちだろう。この中に私の父もいたのだろう。

転向文学

転向;日本共産党の指導者であった佐野学、鍋山貞親の「獄中からの転向声明」の言葉に由来。(哲学辞典、平凡社)これは当時の弾圧下にあって、非合法な体制変革の思想を捨てて社会民主的な合法活動により日本社会をかえていこうという考え方をいい、現共産党は変節と言ってる。(社会科学総合辞典、新日本出版社)

転向文学とは、上記のような共産党から転向をした左翼の作家が書いたものを転向文学と言う。しかしながらこれだけでは転向文学としての何らかの積極的な価値も意義も見出せない。戦後は転向したことによる内面の変化を主体的に描くことによって文学的な表現を獲得したものに対して良い意味でも使われる。

「礎」という小説

これは私の父が生きているころのことで、まだ私が高校生か大学に入ったあたりのころに、この本はいいぞと言って勧めてくれた本である。しかしながら最初のほうを読んだ切り全部は読んでいなかった。持っていた本は戦後すぐ出たもののようで紙質は非常に粗末なもので紐閉じもほどけておりもうすぐばらけてしまうのではと心配されるような本であった。友人にも紹介したりしたが今の今まで全部読んだことがなかった。また最近その本もどこかに紛失している。さらに文学全集の島木健作のなかには大体がこの本は含まれていない。たぶん単行本では入手不可能だろう。また多くの文学評論家はこの本を彼の代表作とは認めていない。さらに「百代の過客ー日記に見る日本人」で有名なドナルド・キーンも文学史の中でこの作家の「礎」を評価し扱っているものはない。そういうことから島木健作という名を知っているだけでも今や文学通だが、彼の名を知っているわずかな人のなかでもこの「礎」を知っている人はほとんどいない。彼も彼のこの作品も歴史の中で失われているといえる。ということで父からの宿題のようなこの本について50年を経てやっと完読したのでこのブログに載せていきたい。

内容

新保祐司「島木健作ー義に飢え渇くもの」(リブロポート)にもあるが、最初のほうに北海道の札幌で若いころの内村鑑三の講演会を聞いている場面がある。この時の彼との出会いについてものすごいインパクトがあったのだろう。彼の印象、風貌を事細かくまさに彫刻家のごとく刻み描いている。この表現は一言で言えば畏怖である。出会った瞬間恐れおののいて打たれたのである。これは小説の中の表現というより彼の現実の印象だろう。これは聖書のイザヤ書6章にあるイザヤの神との出会いの場面でイザヤが「災いなるかな私は滅びるばかりだ」と絶叫する時の精神状況を想定しているかのようである。これは自分に向かって突然来る恐るべきもので対象化できない、距離も置けない、自分の精神にグサッと侵入してくる。そのときに感じるものだ。彼の筆致が緊張感に包まれている。

概略は

北海道の札幌で銀行の小間使いをしなければ食っていけない貧しい少年たちの生活と出会いから始まって、東京の書生稼業のなかでさらに世間を学び知的に飢えながら、自分の人生をどうしていこうかと悩む青年の物語である。都会では後ろ盾があったり学歴があって一応成功したような人たちについてこの青年たちは厳しい目で見る。理想へ向かってもがく。一歩間違えばただの人以下である。僅かな人のツテを頼って仕事を探し夜学に通う。右も左もわからないで東京に来て学歴も金もない人間がどのように成長して行くか。またその10年後には満州で活躍した日本人たちの農業的生活をつぶさに描く。多分ここで表現されているのは、人生如何に生くべきか、という求道的精神が最後までどうなっていくのかという内容だろう。特に島木からすれば農民運動に若いころ接しかつ転向したことから、いろんな大理論、大教義、大哲学というより自ら実際の経験を積み、活動した中で得られる手のひらにつかめる具体的思想が必要だった。人間の傲慢さが自然の過酷さのなかで打ち叩かれ、自然との取っ組み合いの闘いとその日々の苦しい中にこそ働く喜びを与えられ、見いだせる農業というものは彼の理想の仕事だった。これを発表した翌年には彼は亡くなっている。だから彼は病気を押して最後に書いた結論としての小説だったはずだ。代表作にしたいくらいだ。今読んでもそういう彼の強い気持ちが伝わってくる。現代のバフェット氏やイーロンマスクなどというような異常な金持ちがもてはやされている。たぶん当時もそうだった。この作品はそういう華やかな栄達とは真逆の人生の存在感を表現できている。そのことが驚きであり新鮮だ。

この小説の余韻

地味な小説であるが、青春の物語としては成功しているとは思う。貧乏学生のテーマは、私も幕張の教会に通っていたころ、幕張で下宿している浪人生などが教会に来ていた。私自身は小学生か中学くらいだから可愛がってもらってよくその下宿に遊びに行ったことがある。3畳半くらいの狭い部屋に平机と湯を沸かす電気ポットがあって、子供心に自分の部屋がある人はいいななどと感じていたことを思い出す。そういう人も大学を卒業して就職などすると私の父にあいさつなどによくくるのであった。またその会社がつぶれたとか聞くと子供心にも心配もした。戦後の経済成長前はやはり多くの人は生活は苦しかった、就職もむつかしかった。まして戦前の昭和初期はほとんどが不況だった。こういう時に学歴もなく中卒資格試験くらいではどうにもならなかったようである。逆にそういう私の子供時代の生活の苦しい時代の人たちのことを、自分も含めて思い出すのである

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