全英オープンに見るヨーロッパの哲学


ドイツ古典哲学の本質(1834年)、ハインリッヒ・ハイネ、伊東勉訳、岩波文庫1951年発行

全英オープン1919年7月21日、ローヤルポートラッシュゴルフクラブでシェーン、ローリーーが優勝した。場所はベルファストから北へ100キロから150キロくらい真北に行ったところにある。ノース海峡を挟んだところのリゾート地だそうだ。美しいゴルフ場だそうだが、

テレビで見る限りぞっとするような断崖絶壁があり雑草の生い茂った自然そのままのゴルフ場だ。日本人はこういうゴルフ場を見るとたぶんやるきがなくなると思う。僕はシェーン、ローリーが満面の笑みを浮かべて勝利した映像を見ながら、ここは日本人の出る幕ではないなと思った。将来はここで勝つ日本人選手が出るという楽観的な見方もできないだろう。
これは自然に対する考え方のあまりの違いゆえに日本人にはあるいはアジア人には勝てないのではと思う。

1、前提
 イスラエルの宗教の聖典である聖書は天地の創造のはじめには4大恐竜との戦いがあってその混沌(カオス)との戦いにヤハウェ神が勝って、この世界に秩序をもたらしたということが前提になっているそうだ。どうもそういう口承伝説があって、イザヤ書や詩編にそういう混沌の中に住む怪物の話がたまに出てくる。それは聖書を読む人たちにとってはそういう前提で読んでいるとのことだ。つまり聖書の民は混沌との戦いに勝利したというヤハウェ神を信じたということだ。このテーマはヨブ記にもつながる。ヤハウェ神はヨブにとっては神という怪物であった。その怪物との戦いがヨブ記の全面に出ている。そういう物語の現代版は白鯨である。巨大な怪物、混沌から来た怪物との戦い。これが白鯨のテーマだ。これがキリスト教国民のある部分の人たちにはしみ込んだ思想、エートスであることは間違いがない。つまり混沌たる怪物との戦いというテーマは長いのである。

2、この本は何をテーマとしているか。
この本はドイツのルターからデカルト、スピノザ、カント、フィフィテ、シェリング、ヘーゲルを取り上げてフランスで出版されたフランス向けの本である。フランス革命がおこり、その当時の精神的高揚も感じられるような本だ。
この本を詳しく解説することはできないが、

①ドイツの思想史、哲学史がどの程度、スピノザに多くの影響を受けているのかということがはっきりわかる。スピノザという人もあまり大衆受けしないのか人気がある人とは思えないが最近はルイアルチュセールの研究やマルクスがスピノザの哲学はよく読んでいたとかということで逆に現在脚光を浴びているところだ。

②この哲学の歴史というものがルターから始まりヘーゲルに終わるのであるが、何が問題になっていたかというと、神の存在とは何か、という設問であった。これをめぐって汎神論、超越神論、カソリックとプロテスタントの闘いが連綿と続いている。

ハイネはこの哲学の歴史というものを神の存在の問題として設定している。
その中でスピノザの影響が圧倒的にドイツで強かった。
特にスピノザの汎神論というもの、自然そのものに神は宿るといった汎神論で彼はユダヤ人から追放を受けた。これは無神論ではないかとの疑惑を持たれた。もはやユダヤ人にはなれなかった。
 怒ったりわめいたりする父親的神の像というもの(超越神論)と汎神論が対立してドイツの哲学の歴史は作られているという。
 カントも純粋理性批判なるものを書いて理性では神を認識することができない、というスピノザ的思想を非常にまずい文章で書いた、とハイネは言う。

3、神という怪物を認識する闘い
 ここでいわれていることは神をめぐっての認識論から始まって哲学ができつつあるのである。この哲学というのは、神というわからないものを相手取った思想の戦いなのである。このよくわからないもの見えないもの、その圧倒的影響力のある神という概念をどう認識していくかが哲学の歴史となったということは、ヨブ記のテーマに戻るように見える。神認識というわからない怪物への認識をどうするのか、自分を痛い目に合わせる神というのは何か、この時のヨブに現れる神はまだわかりやすい神であった。しかしルターから始まるスピノザやカントの神はわからない神であった。像が結ばない。多分にそれは支配階級としての貴族のためのキリスト教というものであったがためともいえる。
 
4、自然という怪物
 この神への認識論がヨーロッパを精神的に作りあげ今なお作っているということは日本人にありえない考え方であると思われる。このわからないものへの認識の闘い、分からないという怪物との戦い、つまりカオスというものとの戦い。これが最初にあげた全英オープンまでつながっているように思えて仕方がない。
このゴルフの戦いは、競争相手のとの戦いはもちろんであるが、カオスとしての怪物のような自然との戦いを強いられるのである。日本人向けの単なる自然ではない。荒涼とした怪物としての自然なのである。これがヨーロッパでは長い歴史を持っている。そう簡単に日本人が認識を変えることはできない。エートスは変わらず。もし日本人が勝つとすれば技術ではなく、この闘いの思想を持ちえたアスリートが勝てるのである。

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