「魔術」芥川龍之介、1920年発表(「黎明の世紀-大東亜会議とその主役たち」深田祐介、文芸春秋、1991年発行、こちらの本を説明するための背景としてこの「魔術」をとりあえず紹介する。)
芥川龍之介の魔術という小説を読む。これは5分もあれば読める短編だ。
中身は青空文庫などで無料で読める物語である。
1、不思議な物語
内容をかいつまんで言うと、主人公が雨の日に大森のはずれの人力車でやっと着く竹藪の小さな洋館に住んでいるインド人に魔術を習いに行く。その魔術を習って使えるようになったころ、銀座に仲間が来てその魔術を見せろという。そうすると燃えていた石炭が金貨にザクザクと変わるような魔術を見せた。そこで仲間がこの金貨をそのままにできないか、自分の持っていいる全財産をかけてもいい、カードで勝負して自分が勝ったらその金貨全部をくれ、と言い出す。その時に主人公がふと欲をかいて自分の魔術でそこまで稼げるならいっちょやってみようと思った。しかし最初にこのインド人に欲を出したらこの魔術は使う資格がないということをいわれている。彼はそのカードの勝負に勝ったと思った瞬間に夢が覚めた。そのインド人からどうぞ帰ってください、と言われ、その時にはっとして気が付く。そういう魔術を自分は使う資格がなかったんだ、と。結局一瞬の夢だった。ちょっと疑問の残る話であるが、時間の経過とか雨の日の様子とか何か意味ありげな設定が面白い。非常に印象に残る物語だ。
2、革命の士としてのインド人
このインド人というのは最初に説明があって、インド独立革命のために日本に来ている、秘術を使うマティラム.ミスラという人だ。(この人はハッサンカンというバラモンの秘法を学んだ。)このインド人は谷崎潤一郎が作った架空の人物を芥川が再引用している。そのインド人のほうも妖術という言葉で言っているがこの魔術に近いものを使うらしい。この芥川のほうは魔術といっても催眠術の一種だとしてかなりこの魔術自体がものすごいものであるとはしていない。しかしその魔術はさておいて、まずインド独立の闘士としている人物がなぜ登場するのかということが私としては非常に長い間の疑問であった。この物語のインド人は芥川が生きていた時代の人物と想定すれば、この物語を書いた1920年ころを反映しているはずである。そういう人とある意味親しくしているということがありうるという状況の設定をしている。私自身はこの小説の教訓じみたところはどうでもいいが、むしろなぜこのインド独立の闘士と芥川というかこの「魔術」の主人公が親しげになりうるのかということだ。架空の人物としてもなぜ親しそうな設定で書けるのかということだ。
3、この背景として考えられることとアジア解放の夢
これは新宿中村屋の創設者相馬黒光(女性)のインド独立の闘士ラスビハリボース(彼もカルカッタ出身、もう一人チャンドラボースという人がいるが別人だが彼もインド独立の闘士、日本に来ている、大東亜会議にて)とのつながりまでありうるような話である。彼は英領インドから日本へ亡命、テロリストとしてイギリス政府からの追及の手が日本まで及び逃亡生活を余儀なくされたが、その後日本へ帰化した。日本には結構たくさんの支援者がいた。また彼は暴力革命を標ぼうしていたので日本からたくさんの武器をインドに送っているのである。その支援者には当山満、大川周明などという最右翼の人物たちがいて親交があった。(これがのちに述べるアジア解放としての大東亜会議の伏線になる)相馬夫妻はこのボースをイギリス政府からかくまって一緒に住んだという。この相馬夫妻の娘とこの中村屋のボースは結婚した。彼は日本の本格的インドカレーの生みの親である。このボースの謝恩の会というのが1915年に開催されているから、芥川の話もその時代としては、独立の志士としてのインド人が日本にいるということはある程度一般に知られていたのであろうと思われる。日本のアジア主義(アジアの解放)に群がる大陸浪人や右翼の人たちは戦争の大義を求めて右往左往していた。戦争の大義、それが、深田祐介の大東亜会議、という本のテーマとなっている。この話は別に書きたい。この芥川の魔術から大東亜会議へのつながりが、ある意味日本の夢、欲望を抱いた一瞬の夢であったのかもしれない。そういうことを芥川は身をもって感じていたのかもしれない。日本の矛盾として。ある意味預言者めいた物語となった。日本は敗戦し、日本によるアジア解放の夢は無残にも崩れ去った。
ただ日本がインド独立のために二人のボースを助けて尽力はしたのである。しかし、この芥川の「魔術」の最後の結末は、主人公の日本人より、こうなることを予測していたかのようにインド人は冷静だった。そして残念なことに主人公の日本人は、資格がなかったことにはっとして気が付いた。この魔術というのは何を比喩していたのか。ここに芥川の歴史を見る鋭い目があったのかもしれない。
カレーを食う時にはぜひ思い出してほしい。
細かい話はここまでにしてこの「魔術」という小説の面白さは芥川のこれも短編の「杜子春」とは似たような話ではあるがこの「魔術」のほうが、僕にはずば抜けて面白く感じるものである。
また今後の研究になるが、大森界隈の洋館とは何だろう、どこにあるんだろうという疑問が付きまとう。多分何かしらの現実が反映されているような気がする。大森か品川か馬込あたりか。