「哈爾浜から来た留学生」、郭雁壮、オクムラ書店、1993年発行(推定)
この本は、多少題名とは違って、哈爾浜から上智大学へ留学する予定となるまでの郭さんのふるさと中国哈爾浜のでの生活の思い出である。
まず、哈爾浜(ハルビン)はハルピンではなくてビンと発音する。これは上海のゴルフ場で上海空港近くに浜海ゴルフクラブというのがあるが、これも浜はビンと発音する。
郭さんというのは女性で、哈爾浜でテレビ局で仕事をしていた人で中国の発展と問題を垣間見るにテレビ局での仕事の悩みやひいては中国の多種多様な問題をもっと突き止めたいと考え日本に留学するところのいきさつまでがこの物語である。
この本の対象となっている時期
この本は歴史的には、文革の嵐から、周恩来の死、毛沢東の死、天安門の事件まで位の時期である。(1966年から1990年位までの時期)内容は、電視台に勤めていた、ある意味庶民である女性の目で見た生活と中国の政治の動き、といえよう。基本的には自分史なので政治の動きを活写しようとしたものではなく、自分の仕事と生活とのかかわりの中における政治なのである。こういう本はなかなかないので面白いものを見つけた感じである。
中ソ国境紛争
最初の出だしは中ソ戦争(多分この戦争は1969年のウスリー江中ソ国境衝突事件のことかと思われる。ウスリー江と黒竜江の合流地点当たりだ。ウスリー江は北朝鮮の最北端のロシア側にウラジオストックがありそこに南北に中国国境沿いに流れている川である。)が始まったころで、日本と同様、サイレンが鳴ると防空壕にはいって身を守る。また竹やりの突撃訓練もしたようだ。ちょうどそのころの中国の兵器が古くて近代化されていないという事を政府としても気が付かされた時期でもあった。
文化大革命
彼女はインテリの家系であったため文化大革命の時には親せきの中には自殺したり、紅衛兵に自己批判をさせられた方がいたという。この文化大革命の時が家族の中でも一番苦しい時期であったようだ。インテリは大概批判を受けた。そしてお父さんも学習訓練所という監獄へ入る。このあたりのことは厳しく批判的には書いていないが、本質的にはこの文化大革命というのは間違ているという事が暗に言われている。
テレビ局での仕事
その後17歳でテレビ局に入る。(この時1981年というから1964年生まれという事がわかる)
試験をうけて電視台に入る。この試験もほとんどが関係=コネで受かる人が多いようだ。また電視台の中はやはり共産党が支配している。それによる問題も多い。
天安門事件
最後は1989年6月4日の天安門事件だった。これは北京での事件であるが胡耀邦元総書記の死をきっかけとして自由化を求める学生運動が全国で起こった。哈爾浜でも起こったが、やはりテレビ局としてはこれを報道しないわけにはいかない、という事で北京に出向く。スタッフは、関係者に取材できたが、天安門広場には入れず、ホテルに缶詰になる。そこでスタッフ同士で今回の学生運動に関する話をしていた。このとき鉄砲の打つぱんぱんとする音が外から聞こえた。デモ隊に発砲したのではと暗たんたる気持ちになったそうだ。特にテレビ局のスタッフは学生に同情する人が多く、中国トップの批判やらをしていたところ、あるスタッフが、疲れたといってベッドにごろんとすると天井に監視カメラがあるのに気が付いて一同がぎょっとする、というような話も出てくる。そこでその話をすぐやめて哈爾浜に戻る。こういう事件があって、彼女の結論は天安門事件は大したことなかったという政治家の話を引用してい終わっている。これはそれ以上書けなかったのだろうと思う。(ウイキペディアでも実際はどんなことが起きたかははっきりとわかっていないようである。)しかしこの事件は文化大革命と同じくらいの位置を中国では占めているのではないか。
この本の面白さ
この本の面白さ、魅力ある哈爾浜出身の中国人が生活した時に出会う政治や仕事の問題などが率直に自然な感覚で語られている。また彼女の筆致は哈爾浜という街が生み出した性格なのか、おおらかさと細やかさ、近代的な思惟と批判精神など日本人の忘れていた感覚を呼び戻すようなさわやかな語り口である。
最後に彼女は上智大学の大学院の日本語の試験を受けて新聞情報学科に入学するという事になるが実際は成田空港に降り立っときにこの本は終わっている。