日中戦争の中で中国人は何を感じたか?

陳舜臣、「桃花流水」上、下、中公文庫

(原著発行は昭和51年1976年朝日新聞社から)

この本の時代

日中戦争の始まりのころ柳条溝事件、盧溝橋事件などが起こった頃をバックグランドとして書かれている。内容は大雑把に言えば、中国の富豪である程家の主人が中国の上海で謎の死を遂げる。その娘の碧雲という若い美人の女性は、日本の知り合いの神戸在住の金持ちに引き取られる。その娘が、親戚が台湾にいてその結婚式に出席することから上海、北京まで行くことになる。そこで分かったことは、父親は死んだことになっていたが実は生きていたということから、衝撃的な出会いがある。その父親は抗日運動の指導者であった。娘はその父親の仕事を手伝っていく。この物語は中途で終わっており、その中国側の抗日運動の気運をよく伝えている。中途で終わっているが、中国人の日本に対する気持ちはよく理解できるように書かれている。この本はサスペンスではなく歴史小説、歴史文学ともいえるのではないか。

特徴

陳舜臣というような、台湾、中国、日本というものをよくわかっている人でないと書けない内容で充満している。多分学者でもわからないような細かいことを拾い上げて大事なプロットに入れている。軍閥間の争いや彼らの戦闘意欲(国共合作時代であるが、共産党のほうはあまり書かれていないが)など丁寧に書かれている。また、当時の抗日運動といっても色んなタイプの運動がありそれぞれがどういう方向に行くかはまだわからない時代でもあった。この碧雲が父親の仕事を手伝う内容は、日本人が戦死した時に残した手紙やメモを翻訳して日本の戦略の細かいところを知るという情報活動であった。またこの抗日運動に伴って必要な連絡をどうするかとか日本の特高につかまらないようにするにはとか、また中国で日本軍隊に捕まらないような作戦とかは詳しく書かれている。あるいは上海の租界の状況などについても陳舜臣ならではである。南京大虐殺事件についても、私としては新しい情報があった。この南京城落の惨状について時の指導軍人が軍隊に向かって猛省を促したという下りがある。(事実であったと思われるが、ここは軽く書いてあった。)

テーマ

日本人から見た中国人と中国人から見た日本人の違いということになるだろう。むしろ中国人から見た日本の軍隊や日本人の戦争の考え方、中国に対して何をしたいのかというような事であり、帝国軍人は中国人の気持ちをほとんどわからなかったと思われる、という事だろう。この広い中国で日本人が傀儡政権を作って植民地化できると思ったことが大きな過ちだったのである。満州、台湾、朝鮮は一応その植民地化はできたのであるが、大中国の奥地まで出かけて戦争をして勝ったところで何ができるのか、何をどうしたいのかということが本当に明確であったのだろうか。最初は弱かった中国が次第に強くなってくる。これは日本軍にとっては最後は恐ろしいことだったと思われる。これは独ソ戦やベトナム戦争、イラク戦争などと同じで敵陣奥深く入って行って戦争するほどばかげたことはないようにも思うが、当時はイケイケの気運だったから。兵站が長くなり補給線が途切れる。この中国で水運のクリークでは日本軍は抵抗にあっている。

この小説の面白さ

やはり、神戸の路地裏まで描ける日本通であると同時に、北京、西安、大同、上海、蘇州や台湾の習慣や気分を書き上げることができるという意味では知らない人間にとっては楽しみの一つである。ある意味不適切であるが観光案内の面もある。私にとっても行ったことのある西安や台湾、蘇州、上海などの空気感や食べ物の味わいやにおいまで感じ取ることができるこの小説は本当に楽しいの一言である。そこに日中戦争という歴史を介在させてその中に生きた人間を置きその人間の生の声を発生させる、ということは生き生きと歴史を知ることになるのではと考えられる。ある意味日中戦争について知らない人でも読める内容ではあるが歴史を知るにはこういう方面から入るのもいいのではないかと思う。いずれにせよ著者は日中どちらの気持ちにもなれるということである。陳舜臣のような人は稀有な存在ではないだろうか。

ついでに

この本は案外長いので読むのには時間がかかった。しかしどんどん読み進められる内容である。イギリスのフロスト警部というのも非常に長いのであるがそれと同様で読み終わりたくないような気持に最後はなる。

桃花流水とは桃源郷のことである。この言葉は最後の最後に出てくる。ほぼ最終ページに近いところで語られる。これはあり得ない理想ではあるが追い求めていくべきものという意味で中国人のその当時の気持ちに沿ったものだろう。

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