第二次世界大戦のドイツとソビエトの戦争の意味は?

「独ソ戦ー絶滅戦争の惨禍」大木毅著、岩波新書、2019,7月発行
2020年の2月時点あたりで12万部売れているということで新書大賞を受賞した本である。帯にもそう書いてある。計算すると一億円以上の売上である。新書一冊でこれだけの売り上げがあるということは大変なことだ。現在であれば、さらに増えていると予想される。

何がこの本を読ませているのか、この本自体はかたいことで有名な岩波新書であるから、そう極端なことが書いてあるわけはないので、むしろ、このある意味学問的な手続きを経た研究の成果であるまじめな本がどうしてこんなに読まれているのか、という方に興味がわく。手に取れば簡単に読める本ではないという印象がある。だから口コミなのか現代の置かれている状況なのか、戦争を知らない人たちのまじめな意味での興味なのか、憲法9条問題があるのか。
本屋の間では、戦史が結構人気があって読まれている、ともインターネットでは出ている。。

この本の特徴
この本は、ソビエト崩壊後のゴルバチョフ時代に一次資料が公開されたことによって新しい資料を参照できるようになったことが、この本の一番の特徴であろう。つまりソビエト側の資料で確かめることができた事が今までのナチス悪者論だけの戦史からは大きく離れている。ある意味可能な限りの公平な立場からの独ソ戦争論である。

この本から一番よくわかることは
この独ソ戦を読んで一番分かったことは、ナチズムというものが終局を迎えたのはこの独ソ戦の敗北であった。1945年4月にヒットラーは自殺した。それはこの独ソ戦の敗北がはっきりしたからである。確かに連合軍のとくにアメリカの参加が大きいとはいえ、ソビエトが最後に踏ん張ったことが大きい。しかしその踏ん張りはアメリカの援助である。特に春の泥濘期は戦車が一メートルも泥沼にはまるのである。はっきり言えば地上戦は、どちらも戦いようがない時期となるのである。それを防いだのは、アメリカの全輪駆動車である。これをソビエトに供与した。この自動車部隊がこの泥濘期に非常に活躍できた。

なぜ独ソ戦なのか
ヒットラーナチスは、東方植民を考えていた。それは英米を中心とした民主陣営から全面的輸出入の禁止措置がとられていたのであるから致し方ない面もあった。特にウクライナの原油などはそういう意味では重要な植民地足りうるところであった。そこでドイツは東部総合計画というプランを立てていた。これが東方植民地計画である。この目的は大ドイツ主義を貫徹するためには必要な戦略であった。

戦争の概念
著者は戦争というものを次のように分類している。
1,通常戦争、最後は外交的解決を図るための戦争
2,収奪戦争ー食料、原料など収奪するための植民地化するための戦争
3,世界観戦争、これは人種主義とかそういう当事者の持っている世界観での戦争
(これは絶滅戦争に発展する。)

ナチスの戦争も当初は通常戦争を主としていた。そこから最後は収奪戦争、最後は絶滅戦争まで行きついた。戦争の合理性もなくなり、互いの絶滅を志向する戦争となっていった。

読後感ー兵站の問題、そして悲惨、地獄

素人なりに単純に考えれば、まず大国という懐の深い敵国への長い侵入というのは非常に危ない、ということではないか。兵站の補給路が立たれる。また考え方に無理が出る。どれほど優秀な武器、弾薬、兵器があろうとこの長い兵站は致命的である。日本の中国侵略時の点と線と同じである。ある意味ソビエトは民主陣営と手を組めたことがこの戦争では大きい意味があったのと知悉している得意な自国での戦いであった、という点が重要だろう。またロシア時代に、日露戦争で負けた教訓が残っていて陸軍大学では戦略、戦術の中間に作戦術という概念を用いて戦術と戦術の有効的連携を図るというような軍事思想的にも優れたものを考案していた。
しかし、最後にこの戦史を読むと戦争が如何に国際法違反でしかないということをいやというほど知らされるのである。どちらもどちらである、捕虜虐待、捕虜銃殺、捕虜殺戮、捕虜の強制収容による強制労働、などどちらも飢餓作戦と呼ばれる方法で捕虜を扱った。また捕虜だけではなくて民間人もドイツもソビエトでもどちらも強制的に移住させられたり犠牲になったりである。民間犠牲というものはあまり表には出ないがそういうところにもこの本は目を配っている。
余談であるが、このレベルの話を読むと、大岡正平がフィリッピンのレイテ戦でアメリカ軍に捕虜になった時、これで助かった、と思ったのとは雲泥の差の戦争がここにはある。

ついでに
この本は参考書をいろいろとあげてあり、詳細を知りたい人への道を示している。また軍事専門用語についても簡単に説明がある。またあとがきで、岩波新書で書かないかと持ち掛けられた時の逸話がある。この話もなかなか面白い。

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