天皇の国.賎民の国、我々の差別の根本は何か?

沖浦和光「天皇の国・賤民の国  両極のタブー」河出文庫、2007年(弘文堂90年発行のものを一部割愛して文庫本とした。)

沖浦和光という人

岩波新書「瀬戸内の民俗史―海民史の真相」筑摩書房選書「宣教師ザビエルと被差別民」などは私の読んだ本である。その他著書多数だ。

ウイキペディアによれば、1927年生まれ2015年没、東大で共産党活動、東大共産党極左派で安東仁兵衛(丸山眞男の弟子と称している。)とともに活動、東京大学英文科卒業後大田区立大森第八中で英語を教える。その後晩年は桃山学院大学の学長になっている。専門は被差別民・漂泊民の研究。私の読んだ限りでは、被差別民の研究から差別の原因となったものは何か、という根本的な命題に歴史的にアプローチしたといってよいだろう。

この本の対象時期

この本は、天皇制と差別の問題を扱った小論文を集めたものだ。論文としては短いものだがやはり、一本の太い線で筋が通っており読むものを納得させずにはおかない。前回扱った網野善彦の時代は中世だがこれは古代、中世、近世つまり江戸時代、明治維新以降にも対象は拡大している。

この本の内容の概略

日本という国は、東北アジアの騎馬民族が朝鮮経由、日本列島に入り征服してヤマトに征服王朝を作った。(江上波夫の騎馬民族征服王朝説、後半に簡単に参考として著者の言うところの騎馬民族説を別途後半に掲げてある。)先住民族であった隼人、蝦夷などを圧倒する軍事権力で殲滅、隷従させた。そして反抗する者たちを差別する階層を作った。その天孫降臨の万世一系、血統の連続という天皇制が貴・賤の差別構造を生み出した。中国の王は移譲されるものという考え方で血統は関係ない、またエジプトのような農耕文明の国は血統の純粋性とか天孫という思想はない、という。日本独特というか東北アジアから来た騎馬民族に特有な思想だった。

貴・賤から聖・穢の差別への推移

 ところが日本では中世あたりから天皇の軍事権力の後退から来る支配権力の衰退により祭祀的支配者として重心を移動してきた。それにより、貴・賤の差別から聖・穢差別へと移行した。その背景には天台宗、真言宗などが国家護持宗教として、中国経由密教を輸入したことにより思想的に固められてきたという事実がある。空海が唐に留学し天才と言われて取得してきたものが密教だった。しかし彼の書いたものの中に、徹底した差別の考え方を述べた箇所があるとして実例を挙げている。(後述)

インドの仏教の密教的要素がどのようにして成立し、どこに問題があるのか

BC15世紀ころ騎馬民族であるコーカサス系アーリア人がインド先住民族のドラヴィダ族を征服してヴェーダ聖典によるカースト的な差別思想を生み出した。支配者が征服民を差別する思想、カースト制の初期型を作った。BC5世紀バラモン教の宇宙論の集大成「ウパニシャッド」が成立、簡単に言えば汎神論的宗教、祭式主義的である。また輪廻と業の宇宙論的宿命論を説いた。この輪廻からの解脱のためにはヨーガによって、精神統一と迷妄からの脱却が必要となり、これがこのバラモン教の根幹となった。また人間には4階層の種類があると説く。この階層がカーストである。これがその後の仏教、ヒンズー教に大きな影響を与えた。そこから仏教が生まれた。最初から仏教はこのバラモンとは対立する思想を掲げてきた。反儀式、反差別、反有神論、輪廻に対する反宿命論、反アニミズム(呪術)。釈迦の死後、2世紀、3世紀は仏教としては実りの多い時期だった。ところが4世紀になるとグプタ朝が起こり、たちまち版図を拡大して大帝国となった。この勢力の支配のかなめはヒンズー教とカースト制であった。ヒンズー教の優勢化によって仏教は劣勢に置かれた。この時、徹底抵抗か妥協してヒンズー教の下での仏教として延命するかという二者択一の状況を迫られた。この時代から仏教はヒンズーの影響のもと釈迦の独自の思想を喪失していく過程であったという。

空海の密教の問題

インドでは仏教がヒンズー教と混交してきたことにより、ヒンズー教のもつカースト制的思想が中国経由、日本の仏教に持ち込まれた。このことにより聖・穢の差別の方向へ向かっていった。これについては、空海の思想にそういうことが垣間見られる。その色々な言葉が引用されているが特に不可触選民について無間地獄に落ちるものとしている箇所がある。(「遍照発揮性霊集」他)著者はこのことを一番言いたかったようだ。この密教が支配者型宗教であり、それ故に国家護持であり、それゆえに被支配層に対する差別思想の温床となった。この密教のカースト的思想の影響により、貴・賤から聖・穢れへの差別というものが助長された。

参考までに、騎馬民族と天皇制と原日本人の文明の破壊

これは騎馬民族征服王朝説の江上波夫の肝心なところとして彼が引用した部分であるが大体一読すれば首肯できるものだ。

「(扶余系騎馬民族の辰王家が二つの王国に分かれて、)一方はもとの馬韓が、百済の扶余王家となったのに対して、他方は加羅(任那)に移って日本列島の征服に乗り出し・・・・ヤマトに入ってヤマト王朝を創始、その後も倭国と百済が密接な関係を持っており、特に百済が倭国を頼りにしており、倭国が百済を終始助ける立場にあった事も同じ王朝が分岐したものとして初めて理解できることである。」p47

また祟仁天応が朝鮮半島の任那から日本を侵略した。原日本人(隼人やアイヌ人)を征服して圧倒的な軍事力により大和朝廷を作り上げ、天武天皇が今の天皇制度を作り上げたと論じている。

最近は江上波夫の騎馬民族説の動向がどうなっているかは、私は知らないし、あまり語られていないようにも見える。それは天皇制の変化にあるのかもしれない。ミッチーから始まり現代天皇制はある意味支配という観念からは隔絶されており、超有名人もしくは芸能人という所にとどまっているように見える。そういう意味で天皇制の出自についての戦争直後のような熱い研究熱や議論が交わされなくなったということだろうか。

結論的には

日本の差別意識の淵源には天皇制と国家護持宗教としての仏教の密教化がある。被差別部落の存在などの穢れの思想による差別はここからきているとみて間違いないだろう。ここまではっきりとして差別意識の淵源について語った人はまずいないだろう。インドの仏教のヒンズー教との混交について詳しく書かれている。分からないことだらけだがぜひ一読を願う。また被差別部落から日本の芸能が発生していることも論じられている。このあたりも、今は触れないが非常に興味深い。

こうした認識は、彼がインド、インドネシア、マレーシアなどの東南アジアから南アジアへ何度も足を運んで民族文化を理解したからこそ説得力を持つものである。さらに彼がフィールドワークとして古老などに聞きとり記録した被差別部落の情報ももはや聞くことすらできなことを考えると非常に価値あるのではないか。非常に薄い本ながら爆弾を秘めているような論稿である。

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