続、資本主義のゆくへ、再論

「北京のアダムスミス」(21世紀の諸系譜)続

ジョヴァンニ・アリギ著、2011年発行(翻訳)作品社

この本には付録があり、

1、資本の曲がりくねった道、デヴィット・ハーヴェイによるアリギへのインタビュー

2、資本主義から市場社会へ、北京のアダム・スミスに寄せて、山下範久氏の論文があり二つ合わせても80ページ近い分量である。

(図書館から借りていた時点ではそこまで読む時間はなかったが、ヤッフーネットオークションで安く手に入ったため、ここまで一応紹介しておこうと思う。)

分かりやすいインタビューと解説論文

この北京のアダムスミスという本はアリギの遺作となった本ではあるが、「長い20世紀」という本と併せて読む必要のあるものである。しかしいずれにせよ長すぎるのがこの本の短所ではあるがここにあるインタビュウーと山下氏の論文は分かりやすく整理されており、本編を一読して何を言っているのかわからないところも、ある程度理解可能となる解説的役割を果たしている。

コロナウイルスがどの程度の規模で終息するのか分からないが、こういう不安をあおるような不確実な未来、将来については現実の科学的分析がいかに必要かという事を感じさせる。

インタビュウの方では、それぞれの覇権的資本主義がいかに遷移していくのか、その理由は市場の物的拡大によって発展していくが、利益率の縮小という問題を資本蓄積のサイクルの中で必ず起こってくる。その問題をクリアーしようとすると、資本主義は金融に走る。これが資本主義的覇権の末期となり次の覇権的空間に遷移していく。そういうことが歴史的にジェノヴァ、オランダ、イギリス、アメリカこの次は東アジアまたは中国というように考えられている。おんなじことを繰り返しているわけでもなく、拡大し変化しながら転移する。

資本主義は終わるのかの議論

さらに山下氏の解説によると、現代マルクス主義者のネグリの理論は、「帝国」にあるように資本主義の終末論的現代というようにとらえている。それはマルチチュード(昔のプロレタリアートではない、グローバルな群衆的なもの)が政治的に革命を起こすべき時であり起きる時代である、というような可能性を示唆し、ある意味資本主義の終わりの始まりというようにとらえるのに対して、ネグリの理論は、資本主義のシステムをいろいろ変更しながらも拡大して遷移する史的な資本主義として生き残り続けるという考え方である。資本主義の危機はあるが、それは危機でしかないという事だ。市場社会の発展はアダムスミス的理解、資本の蓄積サイクルはマルクス的理解を可能とするという。

穏当な世界史の見方

しかし、非常に単線的に資本主義をとらえた資本論的マルクス主義に対して、ここにはマルクスの理論に関する内在的批判があるように見える。

また、ある意味では、過激な理論ではなく案外収まるところに収まったグローバル経済史的なものの見方といえるのではないか。(大向こうを張ったウオーラーステインや、ポメランツの世界システム論からすれば非常に穏当ででわかりやすい、といえる。)

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