アジア史の中の沖縄、新しい視点から

南海の王国琉球の世紀、東アジアの中の琉球、角川選書、平成5年(1993年)発行

(陳舜臣、森浩一、山折哲雄、濱下武志、高良倉吉、田中優子、井沢元彦)

この本の構成は、まずそれぞれの専門分野の部分を発表し、それをもとに、7人で議論をする。議論の方は2部構成で1、琉球王国の誕生と形成、2東アジアの中の琉球。

なぜこの本を読むのか

これは、前回のブログでも取り上げたアリギの著、「北京のアダムスミス」それに今後取り上げる予定の同著者の「長い20世紀」両方ともあまりの分厚い本のため途中で解毒剤のようなものを入れなければ最後まで読むのはむつかしいと思ったので簡単な本はないかなと探しているところだった。それで、アリギの著書に出てくる日本人の学者は圧倒的に濱下武志が多いのでどんなことを書いているのか興味があった。彼は中国と日本の関係とそれを東アジア全体の歴史の中において見るという手法で「近代中国の国際的契機」(東大出版、1990年)という本を書いている。この方は、アマゾンで見るとたくさん書いている方ではないようだ。しかしこの本も結構分厚いので、掲題の本の薄さにひかれてまず読み始めた。この本の中で彼も発表しているが、「東アジアの朝貢貿易と琉球大交易時代」という表題で約20ページほど書いている。

琉球大交易時代

東アジア全体の視点で日本史を見るとか中国史を見るとかはよく言われてきたことではあるが、なかなかそういう本はめったにない。相変わらず日本史であり、中国史である。あるいは中国と日本史を足した説明、つまり江戸時代には中国は何時代であったとか、どういう動きが個別にあったか言うことは良く書かれてはいる。まるで昔の我々の受験勉強のような説明が多い。これは学者の能力の問題であるのか、そういう研究の実績が少ないのか、方法論上の問題があるのか、学の専門性によってたこつぼ方式になっているのか、分からないがいずれにせよ少ないであろうことは確かだ。

しかし、この本はそういう不満を抱かせないような問題意識である。つまり日本を中心とした東アジアという視点では見えてこない世界がここにある。つまり自分の視点を南にずらすとそこに琉球の大交易といわれるような時代があり、かつ東アジアの経済圏があったことがよくわかる。ポルトガル人のトメ・ピレネスが書いた「東方諸国記」には琉球についてページを相当割いていて日本についてはほとんど書いてないという事だ。また1535年のポルトガルの地図には日本や朝鮮半島については書いていない。それくらい、琉球は東アジアの交易圏では主役であった。一方で当時の日本はまだこの交易圏の中では、海外からは重要な国としては見られていない。(フランシスコザビエルの来た1549年以降はまた変化はあるが。)

つまり琉球が中国の朝貢国であった時代、薩摩藩に組み込まれる以前には東アジアの海を縦横無尽に船を操って航海し、アユタヤ王朝やマレーシアのペナン、ルソンまで行っていたという。大交易圏である。この経済圏で商品と金の流れがあり、この広大な東アジア世界で琉球が活躍していたという。特に久米村というところは中国人居留地があって中国人が相当数住んでいたようである。こういう人たちはある人は造船技術の専門家であり、朝貢国への文書司であったりしたようである。琉球自体が中国に専門家の派遣を要請している。ある意味ルソンだろうがペナンであろうが中国語が世界共通語になっていたようだ。(現在もかなりの程度同様の状況にはある)基本的には中国を中心とした貿易圏であったがそれが拡大して行った。

しかしこの関係の研究は始まったばかりだが、濱下氏の後にはあまりいい研究がないのではないか。

結論として

この本では高良倉吉氏の言葉が光っている。琉球史から沖縄外の世界をもっとよく見極めてこの日本の歴史認識をもっと豊かにする必要がある、といっているがその通りと思う。琉球中心のアジア史が必要だ。ダイナミックな歴史認識が求められている。現代に希望をもたらすような。

https://www.itmedia.co.jp/enterprise/spv/1206/21/news009_2.html

参考:アジアの中心としての現代の沖縄の取り組み

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