
陳舜臣、神戸わがふるさと、講談社、2003年発行
第一部と第三部がエッセイとなり、真ん中が小説となっている構成である。
このエッセイの最初の文章が素晴らしい。なんという悲劇、なんという歴史。
「慟哭の世紀」という表題、よくよく見るとこれは序文であった。
ここに戦争後、台湾にも岩波書店のような立派な本屋を作るから戻って来いと言われた。本屋の仲間は5人いるという、君も来ないかといわれた。しかし婚約者がいるのですぐには帰れないと言って考えておくという事にした。
彼は大阪外大を繰り上げ卒業した。司馬遼太郎の一年先輩である。この時の5人のうち一人は優秀で官費留学生として中国に渡ったが、その後台湾と中国は交流が全く出来なくなった。向こうに行ったその学生は婚約してから行ったのだが、帰ってこれなくなった。文化大革命である。どちらも相当待った挙句別の人と互いに結婚したようだ。しかしその後日本経由なら連絡が取れるという事になり仲介者がいて、たがいにあうことになった。会って、絶句しその場にひれ伏したという。その時の慟哭という事が表題となっている。
5人のうち二人は病死と蒋介石政権の時の白色テロで逮捕、死刑となった。そして残りは李登輝、と医者が二人残った、とある。岩波のようないい本屋を作ろうという合言葉が台湾の悲劇の歴史の空に浮いて消えていった。彼の厳しい寂しさがあらわれている文章である。