「社会科学と因果分析-ウェーバーの方法論から知の現在へ」佐藤俊樹、岩波書店、2019,1月発行
この本は結構むつかしいというか統計学、確率論の知識がないと読めないところも多い。そしてこの本はどういう人向けに書かれたのか、これもちょっとわかりずらい。社会科学を目指す若い人向けの本なのか、社会科学とはこういう科学的手法を使っているのだと説明したいが故のことなのかそれともウェーバーの方法論は現代に通じる社会科学の方法論でこの方法論に関する今までの多くの誤解がウェーバーの書を誤読させてきた、ということなのか、あまり判然としない。ウェーバー理解が本当に間違っていたのだろうか、という疑問が出てくる。
こむつかしい話なので印象論
詳しい説明はむつかしいので簡単にこの本の印象を語ることしかできない。
V.クリースという統計学の学者がウェーバーの10年ほど先輩であり、大学同僚であったころにその学者の統計学をウェーバーは学び、彼の方法論に取り入れた。適合的因果構成、とか彼の方法論使っている術語はほとんどがクリースからの影響であるということのようだ。ウェーバーはご承知のようにエートス、動機理解的方法、価値理解、没価値論、客観性、理念型などという社会学の基本用語を新しく作ったような人である。その方法論の基本的な部分がこのクリースの影響にあったという。それがウェーバーの文化科学論文、といわれるものである(この本が翻訳されているかどうかがこの本のなかを調べたが出てこない、あるいは調べ方がまずいのかもしれないが)が、歴史的には日本はこの論文をあまりウェーバーの方法論上の重要テーマとして扱ってこなかったという。しかし実際の彼の方法論の述語などを分析すればするほど、クリースの統計学的な理解と言葉を多用しているようである。著者は、はっきり言えばそれだけを語っている。そういう見落とされていたクリースの方法論上の影響についての発見があったということだ。同種の研究では向井守の著書があり、ウェーバーの社会科学方法論について多くを語っているらしい。この佐藤の本は彼の業績に負っていると書いてある。
(1903年から1921年にかけて方法論上の著作が出ている、死後、科学論集としてまとめられ広く読まれているようである。が日本のウェーバー研究者は読んでいないということか?)
我々の学生時代には「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の解説では近代資本主義とプロテスタンティズムは親和性があった、とか因果的に選択的関連性があったとか言われていた。この時に言われている因果的という言葉であるがこれが統計学的用語であった、ということである。これは反実仮想の方法をとって、つまりプロテスタンティズムがなければ逆に近代資本主義は生まれなかったのかという問で逆証明が必要な方法で統計学には基本的にあるやり方だそうである。この本では結局ウェーバーはそういう1906年前後の統計学の発生時期にそれでも非常にむつかしい統計学をウェーバーは勉強して現代までに通じる社会科学を打ち立てた、ということである。
統計学が最強の学問である
そこで思い出したのが、「統計学が最強の学問である」西内啓、ダイヤモンド社、2013という本である。中身は読んでないがパラパラと書いてある文字づらを見ていくと確かにさも統計学しか学問の基本になるものはないという事が言えるのではないかという気がしてくる。しかし今まで大学で少しばかり統計学らしき本をかじり、会社では正規分布と分散性という技術屋の言葉を聞きながら来たが統計学というような学問にほとんど興味を持たずに来た。多分これは保険屋などが掛け金を決めたり保険金の受け取り額を決めたりする時には使っているだろうな、というぐらいの推測はつく。または現在のコロナの感染人数から統計学者は何を考えているか知りたいところではある。また統計学は特に社会現象を理解していくうえで非常に重要でありそうだ。選挙結果速報もこの種の方法をとり入れているはずだ。
ウェーバー理解という問題
この本に関してはこれ以上のことは私は言えない。しかし、文化科学方法論を重視してこなかったがゆえにウェーバー本を誤読したか、よく理解していなかったかはわからないが、基本的なところではあまり誤っていないのではないかと思う。実際、そのように著者も言っている。だから結局この本は統計学が最強の学問であるということを言いたいのかもしれない。