上官の命令は絶対であった時代

ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」下、岩波書店、2001年発行、2002年までに11冊

この本はジョン・ダワーという日本研究の歴史、政治学者の人の手になる。彼は1938年生まれというから現在83歳マサチュセッツ工科大学教授と奥付には書いてある。彼は日本の翻訳の中では「吉田茂とその時代」(上、下)TBSブリタニカや「転換期の日本へ」共著、NHK出版、「忘却の仕方、記憶の仕方」岩波書店、「アメリカ暴力の世紀ー第二次大戦以降の戦争とテロ」同出版社などがある。これらの翻訳の中では一番読みやすい本ではないか。

一応下巻だけについて書く

この本の内容は奥が深く種々の問題をテーマにしているように見える。現代につながる政治状況、憲法問題、また、責任問題=これは上官の命令はどんな悪でも従わなければならないのかという問である。個人が主体的に選び取る倫理観が問題になる状況で西欧の連合国は上司の命令があったとしても実行者を許さないという観点での法的制裁を科した。これはナチスの時のイスラエルでのアイヒマン裁判でハンナ、アーレントが批判した内容と同様である。日本人の多くが各戦地で戦争裁判行われたが、自分は上官に騙されたという手紙を家族宛てに書いている例が多いようである。この個人の主体性の問題は戦後の政治過程でずーっと通奏低音のように聞こえてくるテーマでありこの本ではそのことを意図して書いてはいないが浮かびあがってくる重苦しい問題である。今でも上司に面と向かって反論できるサラリーマンはいるのだろうかとつまらない疑問も出てくる。特に社長にはどうかなど。

内容は、憲法制定問題、天皇の責任をどうするか、東京裁判(極東裁判)の問題、戦後の日本人の一億総ざんげ問題、などについて書かれている。

やはり一番の急所は、憲法制定問題であろう。全体として日米双方の感情に対しては非常に中立的な感じがして好感が持てる。また歴史観も公平であろうと努めているようにも見えて説得力がある。非常に良い本である、と思う。ある意味結論なき歴史という怪物に対してどのようにアプローチするかは非常にむつかしい。最初から観点や善悪が決まっているような固定的な作品ではない。非常に考えぬかれて書かれている。日本への見方は非常に丁寧だ。微に入り細に入り細かく。一般的には外国人の書いたものには紋切型が多い、日本人が書いたものには軍国主義批判的なものが多く浅薄な教条主義的であったり公式マルクス主義的なものが多い。私がうっすらと感じる著者の方法論は支配者の政治的決断の側と大衆の動向とその影響を丹念に見ながら、相互の影響やぶつかり合いを掬い取っている。大衆の動きに政治的支配者も敏感であり両者のパワーをうまく扱っている。

問題

戦後の日本の政治過程からどんなことが問題として残され今なお議論されることになるのか。ある意味日本に残された宿題としての問題が検討されている。

憲法問題

この本を読むと日本の憲法論議もむなしいとしか見えない。マッカーサーが日本の天皇と会い、この日本に天皇がいなければ駐留米軍のいなくなった後は大変な混乱をもたらすだろう、という彼の直感と政治的判断および当時のパワーポリティックスの歴史状況の流れの変化、つまり冷戦が始まろうとしていた時代状況がこの憲法を作らせたのである。

はっきり言えることは、米国の政治的価値を優先したため連合軍の極東委員会(ソビエトや中国も入っている。またオランダやイギリス、フランス)が設立する前にある意味左翼的でもあるくらいの民主的憲法を作成しておく必要があった。というのもほかの連合国は天皇には戦争責任があるとして日本の保守主義者、支配的地位にある政治家にとっては非常に厳しい状況が生まれつつあった。ところが日本側の憲法案作成者はこの時代状況を全く理解していなかった。そのために明治の帝国憲法の修正案を出してある意味お茶を濁した。一番政治状況を把握していたマッカーサーはこの修正案では天皇は生き残れないとして,GHQ内部で草案つくりを始めた。この草案はある意味非常に進歩的であった。またそういう人たちが集まっていた。(ただし専門家ではなかった。日本の憲法専門家は彼らを馬鹿にしていた。)

中身はともかく結論的に言えば、天皇を傀儡として生き残らせることによって日本国憲法は成立したのである。そのことによって吉田茂などの戦後の政治家、政治的保守層は安堵し、納得したのである。これしかないと。わたくしがみるにこれは二重の意味での問題があった。一つは天皇は米国に従う傀儡になった。この本には傀儡という言葉は使われていない。しかし傀儡としか言いようのない変換が起こったのである。米国の都合に合わせたのである。天皇は傀儡になるために努力もした。また天皇は皇室内部からの批判もあり自分からも退位しようという気持ちになったことがある。天皇も責任を取ろうとしたのであるが、結局この戦争の責任を取るものがいなくなってしまった。これは米国の徹底した考え方であり、極東裁判を通じて戦犯としての天皇には一切触れてはならなかった。

だから傀儡であることと責任をとることをしない(責任をとれない)ことによって二重の意味での問題を残した。

結果的にみればマッカーサーが日本の天皇を救い、日本を米国のシンパに作り上げた。そして共産主義から守った?のである。そしてその交換条件として世界に前例のないくらいに進歩的平和的憲法が成立した。(非武装の平和主義はパリ条約での前例がある、という。)その後国会での承認に関してはほとんど反対がなかったようである。これは反対票を投じても何ら問題にはされない状況でのことであった。

(その後4年後には朝鮮戦争が勃発して米国は30万人レベルの軍隊を作れと要求してきた。しかし吉田茂の知恵もありそれは回避したのである。)

余談であるが

憲法については一々について英語から日本語、日本語から英語の言いかえが必要であった。その時に日本側はいろんな言葉の抵抗を試みたようである。人々PEOPLEという言葉を国民のという言葉に置き換えた。これについては米国側がほとんど気が付かなかったということである。これがゆえに日本国民だけを相手とした憲法となったのである。朝鮮や台湾の人々は国民に入ってこないのである。

また9条についても日本側のレトリックがあった。どうとも読めるようにしてあるのだ。今でも論争の種になっている問題がこの時に起こったのである。この9条の文章が非常に問題を残した。しかし文字面だけを検討する専門家(特に官僚)は別にしてここに盛られた精神は完全なる平和の精神なのである。(法の精神がここでも問題とされるだろう。)そうでなければ通らなかったのであるから。

最後に

この極東裁判から憲法の制定、そのあとの戦犯問題が続くのであるが、これについても著者独自の調査がいろいろとある。しかし、日本人の多くが敗戦をどう受け止め明日の力をどうやって作り出すのかというときには酷な話かもしれないが、自分たちの被害者意識に圧倒されていてアジアで何をしたか、多くの犠牲者に対しての意識は非常に少なかったとしている。特に当時の東大の総長だった南原繁が東大の若き俊秀たちが敗戦によって戻ってくることについて書いた厳粛なる文章があるそうだが、彼でさえアジアの人たち(インドネシア、中国、フィリッピンなどの大量虐殺)についての発言は皆無であったとしている。

もう一つは、言論統制問題である。GHQによる検閲問題、統制問題は非常に多くの問題を残した。これは今ではフェイクニュースなどという言葉がまかり通っているが、なにが真実であるか、何が正しいのかというような基本的なことがますますこのフェイク技術で見通しが悪くなっているといえるだろう。語られていないことは思い浮かばない、しかし語られていることには注意が向けられるというようなことからの隠ぺいやキャンペーンがある。

また白人優位の論理もまたこの戦後の政治過程では問題となったが、現在のワクチン問題もまだその白人優位の論理がまかり通っている。

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