スンニ派、シーア派を知る前に

「イスラーム思想史」井筒俊彦、中公文庫1991年発行(原著は1941,1948.1975年に書かれたものを一冊にした。)

なぜこの本を読むのか
アラブ諸国は、スンニ派、シーア派と別れているという。そのことによる政治的対立もある。シリアはシーア派でイランとは親しい。しかしサウジアラビアとは敵対関係である。一応そういう対立のあることは置いて、実際どんな教義の違いがあるのだろうか、という素朴な疑問からこの本をとる。多くの人もこの色分けについて何が違うのかというような疑問を持っているだろうと思うが実際のところ辞書的説明では非常にわかりにくいといえるのではないか。そういう問題意識を持って読み始めるが、実のところその違いについてはほとんど触れていないのである。

本の概略、この書の書かれ方
ムハンマドがコーランを書いてからその死後、このコーランの教義が実際の現実にどう適用していったらよいのかという大衆の疑問に答える形でこのイスラムの思想は形成される。
大よその流れは、1、弁神論(神学)2,神秘主義3,哲学(ギリシャの影響)時期的には8世紀から12世紀くらいまでの時期といえる。
「イスラム思想史」と名づけられているが思想の歴史ではない。イスラームの初期の7世紀から12世紀あたりまでの思想の潮流というものであり、思想が時代ごとに変化していった、というものではない。代表的思想の潮流を追うことによって、イスラームの本当の姿に触れることができるようになっている。
また、読み忘れるところになりそうに最後に付録が付いている。「汝はそれなり」という論文がある。これは著者が学士院の会員になった時に発表された論文でのちに雑誌「思想」に全文が掲載されたものである。また書かれた時期も1941年、48年と別の時期の論文を集めて一書にしたものである。
またこの本を読むとわかることがある。それは著者がイスラーム神秘主義というものを非常に大事にしているということである。この神秘主義によってイスラームの思想は深まり大きく成長していったということを表明している。先ほど触れた付録は、神秘主義の代表者バスターミーの論理、と哲学と彼の神秘体験を事細かく描写している。またこの神秘主義がインド思想と深く関係していることが明かされる。

この本の驚くべき一面
この本の重要な箇所は、6世紀から12世紀のあたりでシリアを中心として、ユダヤ教、キリスト教、そしてギリシャ哲学(アリストテレス)の長い交流の歴史をその背景に持っているということである。そこを中心テーマとして書いているわけではないが、その交流史については非常に興味をそそられるところである。少し垣間見えるのは、キリスト教の医師=知識人がアラビア周辺にたくさんいたようである。彼らはなぜそのように東方にいたのかはわからないが、推測されるとすればローマの弾圧を逃れてきた人たちということも言える。彼らがギリシャ語の哲学や医学書を翻訳して、哲学や医学ををアラビアにもたらす。また、禁欲的キリスト教神秘主義などの集団(グノーシス派なのか?)からの影響もあった。だからこのイスラームとユダヤ教、キリスト教は似ているのである。アラーの神というのは本来は3宗教の同じ神を言っているはずである。また井筒氏特有の点は神秘主義に非常に詳しい。神秘体験ををつまびらかにしている。

本の内容
1)弁神論

神学が形成されるということは、ムハンマドが生きていた時代はすべて彼に相談したり聞けばよかったのであるがいなくなった現実ではそのような考え方を持つべきであるか、コーランは著者は多くの点で矛盾をしているという。そのいろんな矛盾を整合性良く考えて生活していくことが必要なのでこの神学というものが形成されたという。
その神学とは、神は唯一であるとか、目や耳があるとか、能力とは何か、あるいは神の永遠性とは何か、コーランの位置づけなどをめぐっている。多分私の考えだがコーラン自体が、量的には非常に短いものである。あまりに日常生活の多様性については答えてくれない。その理由からこういう神学なるものが出てきたのである。よく言えば日常に一般の人たちが疑問に思うようなことを素材にして論理的に構成されているといったほうがいいかもしれない。しかし神の概念一つとっても反対する人たちはいるし、コーランの位置づけやムハンマドの範例や慣行の位置づけをめぐっても種々雑多な派ができている。さらに言えば色んな派ができやすいともいえる。著者はそれを細かく説明している。

2)神秘主義(スーフィズム)
その次に重要な考え方が出てくるのが神秘主義なのである。これは、神学とともに解釈専門の学者としての法学士がいるが、こういう人が増えてくるにつれて、枯渇した信仰儀式化した信仰という問題が表面化してきて、もう一度生き生きとした信仰を取り戻したいということから神秘主義が生まれたようだ。信仰とは深い個人の体験だとしてそういう体験を目指すようになる。その第一人者がガザーリである。彼らのことをスーフィズムという。来世的、から隠遁的、(これはキリスト教修道者の影響があるという)そして難行苦行の末に神に出会う。忘我、法悦の境地になるなどの修行のそれぞれの段階があり、究極的には自己に死に神に生きる、というところまで達成することを目標とする。
ここで二つの派に分かれる。一つは陶酔の境地に生きる人たちの派と神秘主義を個人のものとして、外面的には社会との調和の中に生きる派とが分かれる。
著者によればこうして遠き神が近き神になる、という。そういう考え方そのものがイスラームという宗教により生き生きとした力と深みを与えてきた、といわれている。
付録にある、「汝はそれなり」、という表題の論文はバスターミーという著名なイスラーム神秘家の具体的な神秘体験とその思想がインドの思想の影響を受けていたということを証明している。神秘体験は非常に面白い。これこそイスラームを知るためのきっかけになるかもしれない。解説者はこの論文は非常に重要だとしている。確かに。

3)哲学
その後に続くのは、ギリシャ哲学からの影響による、神秘主義を克服していこうという潮流である。この思想は最後は哲学があればイスラムはいらないというところまで来るのである。細かいことは本文を読んでいただくことにするが、ギリシャ哲学のアリストテレスの影響というものが、シリアキリスト教、ネストリウス派のキリスト教などの知識人=医者によってギリシャ語からの翻訳がたくさん出てきた。このことによって論理的であることがアラビア人にとっても必要になってきた。ここに、ヨーロッパ思想界にも影響を与えるような人たちが出てきたのである。ここでもたくさんの宗派ができた。

スンニ派とシーア派
もう一度スンニ派とシーア派の問題へ話を移すとイスラームはあまりにもたくさんの宗派ができすぎているのである。だから大きく分けてこのスンニ派とシーア派という分類はある意味敵か味方をはっきりさせることができるものといえる。

また、ムハンマドの死後、コーランとムハンマドの範例と慣行だけでイスラームの体系的神学を作るのはなかなかむつかしい時に、基本的に誰の教えが正しいのかまたはだれに正しい教えを聞くべきかという後継の正当性の問題が発生したのであるが、その正当性についてムハンマドの娘の夫アリーが正当性(カリフとなる)の根拠となったのがシーア派なのである。(シーア・アリー、アリーに従え)しかしこれには反対派がたくさんいてすぐ彼は暗殺されウマイア朝が成立する。一方スンニ派は世襲の後継者は必要がなく、ムハンマドのコーランと範例と慣行(スンナ)およびキャース(言葉の意味を類推し解釈する)とイジュマー(多数の法学者の一致に従う)というのが基本の考え方である。これがスンニ派の宗教法学だ。ある意味合理的であって従いやすい考え方であるように見える。このスンニ派が人口比では圧倒的に多い。90パーセントといわれている。

宗派がたくさんあるのはなぜか
要するにこのイスラームというのは宗派がやたらに多い。そこが特徴といわれるくらいだ。なぜそうなるかというのはムハンマドのコーランがある意味整合性が取れていなくて矛盾も多いことからくるのではないだろうか。また、キリスト教、ユダヤ教、ギリシャ哲学などの影響、さらに言えばインドの思想などの影響が無視できないレベルにあるだろう。これは彼らの地域が東西の交流点であり、商業がそういう意味で発達していたので思想、文化も駱駝とともにやってきたのである。そういう影響のもとコーランやムハンマドの現行、範例などを解釈する必要から考え方が種々変わってくるのでどうしても多くなる。またどちらの派にせよ法学士という解釈者が権威を持っているので、考え方としては大衆は従わざるを得ない。また著者によれば、歴史の中で多くの外からの思想的、文化的挑戦を受けてきて多様にかつ大きく、深くイスラームが成長してきた、という。

最後に
この本は最初はスンニ派やシーア派について知りたいと思って読み始めてみたが、そういう宗派についてはもちろんであるがイスラームの考え方の特性が浮かび上がって理解されるような感じがする。そのことによって国際政治のわからなかった部分にも少しは自分なりの見方ができるかもしれない。
特にこの井筒氏は国際的にもイスラーム学の大家であり、日本にこういう人がいたということはありがたいというしかない。日本語でこういう一級のレベルの本が読めるという幸せを味わいたい。あとがきには30以上の古典語と近代語をマスターしているという。また彼の問題意識の出発点は幼少の頃禅宗の修行をしたことからのようだ。そのことによる自分の実存の問題関心から古今東西の宗教的事象に主体的取り組んだようである。ある意味実践者が自分の修行のために学んできたことと言えるのかもしれない。だからこそ、イスラーム神秘主義には非常に詳しいし温かいまなざしが向けられている。

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