比較思想、文化叢書、「出稼ぎの社会学」、山下雄三、国書刊行会、昭和53年発行(1978年)
この本は私の親しくしている友人のお父さんの著書で、この本を紹介され、教えていただいた。アマゾンで購入し読んでみた。この山下雄三という方は、教育大学(現在の筑波大学)の農業経済学専門の教授というように聞いている。若くして亡くなった、と聞いている。
まず「出稼ぎ」という言葉が懐かしく響いた。しかし今はもう死語になっているのではないだろうか、などと思いながらこの本を手にする。この本の対象となる年代は昭和40年から50年くらいまでの間のことである。(私は昭和24年生まれだから16歳から26歳までの頃である。いわゆる60年代なのである。)この時期は高度成長が始まっており、日本の経済は急成長であった。
1,この本の内容の概略
1、出稼ぎとはどんなものか、家族の問題など。
2,出稼ぎを送り出す東北や鹿児島などの村とか共同体の側の発想、家族関係など。および自治体の組織、考え方。
3,大都市の工場や建築現場などの受け入れ側の考え方、組織など
4,人集めの方法など
5,この出稼ぎの問題、何が問題か
というような内容である。
最初は非常に情緒的な話から始まる。これは無着成恭「やまびこ学校」に通じるものがある。出稼ぎの家族の中の子供がお父さんが帰ってくると嬉しい、そしてどうしてそんなところに行かなくてはいけないかという疑問、しかしお父さんがこうして働くから自分たちは学校に行けるという自分との関係の認識というような内容の作文がたくさん紹介されている。冷静にみるとこういう作文は概して文章がうまい。小学生、中学生にしては非常に上手である。読ませるものがある。真実がコアとしてあるからか。
そういう話から著者が歩いて調査したと思われる各農村の役場での統計や市での統計、また送り出す側のいろいろな政策、施策、援助、共済会などの調査が事細かく述べられている。こういう現実に、今まさに起こっているテーマは統計データなるものが図書館に行けばあるというものではない。フィールドワークである。データの整合性、県や市や村での段階でのデータのとり方がそれぞれ考え方が違うために同じレベルの資料としては使えなかったであろうことが、表などに表れている数字でよくわかる。調査は基本的には青森、山形、秋田、新潟、鹿児島の出稼ぎの多い地方が中心である。多分そういうご苦労がたくさんあった研究である。
詳細な内容までここで紹介することはできないが、出稼ぎ労働者というのは種々の問題を抱えていた。特に現場事故の問題、不払い問題、健康問題、6か月ほど帰らない自宅の家族問題など、また農業収入の低さなどである。
2,今読むとどう読めるだろうか
1,この問題は日本では終了しているのだろうか、という問題
派遣労働者、派遣切り、テント村、路上生活などという問題は残っている。
2,この問題を世界に目を向けるとどうなるのだろうか
〇中国の民工問題、これは農民籍の労働者が深圳や上海など沿岸の大都市圏の労働者として働く、というのとそっくりではないだろうか。都市と農村の経済格差問題、経済発展の大きなギャップによる問題である。
〇ヨーロッパの移民、難民問題も似ているといえば似ている。この出稼ぎという以上に過酷なものもある。
〇国際的にみるとフィリッピンの女性がイスラム圏の医療従事者になっているとか。その他もろもろのグローバル化による働く場が自分の故郷から遠く離れている、そのことによる問題。
などと考えるとこの日本の出稼ぎ問題というのは大きな視野でみると世界的に拡散しているということが見えてくる。
〇つい最近、ミャンマーのクーデターによって技術研修生が日本に来れなくなったというニュースがNHKで報道されていた。受け入れる会社は北海道にあって建築関係の会社である。人手不足が常態となっているので期待していた。その人たちは道路建設に携わってもらおうと思っていたなどと社長は言っている。と。ここにも同様の問題がある。
3,日本の人手不足
現代の派遣問題などと比較して考えると、この時代は急成長の時代であって、人手がありとあらゆるところで不足していく時期だった。急成長に伴う工業生産増ととまたその工場の建設、また道路のなどの工業化に伴う環境整備などで特に単純労働者(未熟練労働者)は不足しがちであった。こう考えると戦後の長い間日本は資源はない、労働力もない国だったということだ。これが解消していったのは、ある意味中国とその周辺のアジアの新興国のおかげである。国外移転問題、空洞化問題である。1980年代の移転ラッシュを待たなければならない。
世界の出稼ぎ問題または類似の労働問題について
この山下雄三氏のこの分析の方法というのが非常に有効なのではないか。つまり労働者を出す国の事情、受け入れる国の事情、その間を取り持つ何らかの組織、その組織はうまくいっているのか、いないのか。本来的にはどうあるべきなのか。
4,読後
こうやって世界的レベルで考えるといろんな問題が浮かんでくる。その時の研究方法としてはこういう山下雄三氏のような研究方法が必要となってくるだろう。
もう一つ言えることは私たちが忘れていた農業の歴史である。特に東北地区の農村問題は根が深かった。戦前からそういう貧農問題を抱えているのである。また私に著者が直接語りかけてくるものは、これが現実だ、という重い問題である。何か我々はこういう貧しいという現実を忘れて生きている。目の前に差し出されて初めてこういう現実の中で我々の親父たちは生きてきた、ということがまざまざと目に浮かんでくるのである。