大衆と市民の政治的違い

「大衆」と「市民」の戦後思想、藤田省三と松下圭一、趙星銀(ちょ さんうん)2017年発行、岩波書店

著者は韓国生まれで1983年生まれ、韓国延世大学卒、東京大学政治学科博士課程修了と裏付けには出ている。現在明治大学の講師である。現在37歳くらいか。さらに言えば女性である。

驚き

この本をまず日本語で書いたということに驚く。また日本のことに非常に通じている。丸山批判や大塚批判とは別の次元にいるがゆえにそういう批判的な本ではなく、藤田省三と松下圭一の思想を丹念にたどっていき、彼らの持つ可能性を提示しようという努力が見える。わかりやすいうえに、私にとっては懐かしい人たちが満載である。忘れていたような人たちがたくさん出てくる。また藤田の先生である丸山を直接扱うのではなくその弟子を扱ったということも彼女の問題関心が民主主義を担う人々の力、思想というところに焦点があるからだろうと思う。また今日では言及されることの少ない松下圭一という学者の思想を追っていくのも極めて珍しい、と言わなかればならない。多分日本の学界の悪い習性の中に育っていないがゆえにこういう良書を書くことができたようにも思える。

この本の系列

戦後「社会科学の思想」森政稔(NHK出版)の系列に属するものである。日本の戦後の社会科学を専攻した知識人が日本の社会、またそこにいる人たちをどのように認識して学問の中に取り入れていき、日本の政治の動向と実践的対策とともに何とか科学的認識にたどり着くための過程を説明したものと考えられる。特にこの二人は日本を代表する政治学者であり同時に丸山門下生でもあった。かつ松下は1929年生まれ、藤田は1927年生まれでほぼ同世代である。簡単に言えば丸山門下生では松下はやや右派、藤田は左派ということになるだろう。

この本の内容

1,概略

松下圭一の主張は基本的には、社会に対する現実的な、かつ改良主義的な見方、藤田はややマルクス主義的な見方、講座的つまり日本の天皇制を制度とだけ見るのではなく日本の民衆の心の中までを決めてしまうエートスとしての見方を分析している。

2,論点

この本の一番重要な論点は、言葉である。市民、市民社会、市民運動、大衆、大衆社会、大衆運動その他人民とか国民とか住民とか住民運動とか人々とかプロレタリアートとか民衆とか中間層とかいろんな呼び名がある。この日本の人々を政治的にみるとどう見えてくるのか、それによって呼び名も変わるわけである。この特に市民と大衆という言葉に限りなく限定してこの本は二人の言説をたどっていくことになる。この二つの言葉は非常に重要である。特に市民という言葉は、ヘーゲル、マルクス時代の市民という概念があって、今でも市民というとブルジョワあるいは城の中に住み自前で戦争があれば武装して戦える人たちであり、市民権というものを享受している人たちという明快な定義がある。このために現在の一般的な民衆を語彙としてこの言葉を使いたくない社会科学者も多い。しかし日本では言葉の意味が大きく変わってきているのでありその変化をたどることも重要である。いまだに市民をヘーゲル時代のブルジョワと考えている人は少ないとは思うがマルクス主義の方たちはそういう観念で仕事をされている方も多い。またその市民という言葉を使いたくないがゆえにマルチチュードという言葉を使うマイケルハートのような人もいる。

市民という言葉が定着していない頃に、べ平連の運動があった。この時に、「ベトナムに平和を、市民連合」(べ平連)に多くの人から質問が来たようだ、私は村に住んでるが参加できるのか、というような。だからまだ当時は市民という言葉が一般的ではなかった、という例である。都市に住んでいる人は都民または市民か府民ということになるがそういう意味ではない。市民という言葉出てきたのは60年安保の時当たりらしい。

(もう一つ言えば、「思想空間としての中国」でも出てきたが翻訳語の問題、その国にそれに該当する言葉がないときには造語するのであるが、その言葉の意味が歴史的に変化していくくことになる。)

藤田がこだわったのは市民である。松下がこだわったのは大衆である。

3,二人の見解

これは言葉だけの問題ではなく、経済状況の段階、政治に対する意識からくる概念である。松下はこの戦後の1960年までの間に経済成長の中で一般の民衆が大衆としての塊になってきたという。

「大衆社会とは何か。それは労働階級を中心とするこれまでの忘れられた名もなき人々が政治生活、社会生活の前面に出て大量に進出して20世紀独占段階の社会形態」である。、、、、、私たちが人生はこのようなものだと決めこんでいることも、実は一世紀前と比較するならば、そこには大変な革命的変化がみられるのである。」p143、だから新しい段階としての大衆と大衆社会の実現の中でどういう政治の政策があるべきか、というのが松下の研究の狙いであった。それゆえに社会党、や自民党の人たちとも議論を重ねている。

4,藤田の市民のほうは、市民だけを見ているのではなく、支配者、統治者の側の権力の行使との両面で見ている。ある意味ダイナミズムの上に国民を見ているといってよいだろう。「制度から独立し、その独立した人間同士が相互の生存のために自由に交流し、やがて制度を創出しまた不断に作り直そうとする態度」それが国民もしくは市民なのである、と言っている。P194、これは60年安保の経験から政治的に成熟してきたとみた大衆を市民と見たということである。また松下と全く違うのは、彼はこの大衆を前にしてあるべき市民という、市民的エートスというものを考えている。だから自分が市民であればどういう市民であるべきかというのが彼のテーマである。だから、同じ状況の中では発言は似ているが志向しているところは全く二人は別だといってよいだろう。同じ政治学者としての研究論文の比較ではないのである。どちらも実践的ではあるが、その実践が違う方向にある。松下は国内政治はいかにあるべきか、藤田は抵抗する市民とは何か、というような問題意識で2人の本来的テーマは同じ面にあるというわけではない。

5,また松下のほうは、さらに、丸山、大塚や戦後すぐ活躍した市民社会論の担い手であった人たちの言説に対して、封建制対近代化ではなく、近代化が2段階目に入っているという論を展開した。それは、大所高所の議論つまりマクロ論としてはいいのだが、ミクロ論として政治を少しでも良いほうへ導くための考え方として必要だということを言っている。また更に、当時の社会党に対しても綱領さえ正しければ政治がついてくる、という考え方、また共産党に対して同様の批判を展開しており、今なおそういう見解は正しいのではと思わせられる。

6,こういう議論が、ほかの当時の知識人といわれる人たちとの見解と合わせて、藤田、松下の考え方を丹念に追っている。特に60年安保が分水嶺であり、この時の知識人たちの高揚がその後の社会党浅沼事件などから後退していく。

読後

結局私にとって、松下圭一という人の考え方には非常に興味を持たされた、と言っていいだろう。現実的に見ようという精神態度である。当然ながら、藤田にも共感する。彼は途中で学者をやめて建設労働者となった、ということがウキペディアには出ている。そういうことも含めて内面重視の人であることがわかる。

また、この本を読むのは自分は何者だろうという意識である。市民なのか大衆なのかそれとも中間層なのか、国民なのか、住民なのか、かつ自分はそれでは政治的には何ができるのか?また自民党を支えている人たちはどういう層の人たちのなのか。最後のほうで自民党の組織化、近代化の話も出てくる。当然、自民党も努力している。私としてはこの政治的民衆としての我々は何ゆえに、菅さんを選んでいるのだろうという問題意識である。この本から得られる見解は今の自民党を理解するうえでも有用であるし、自分は何者になろうとしているのか、ということも考えさせられる。

この著者は、ほかでも言っているが、1945年から60年くらいの時期にかけての政治的言説を主として扱っているので古いといえば古いが、近いといえば近い時期のことでもある。そういう大して離れていない時代の問題を掘り下げることによって、今が明確に見えてくることもあるのではないだろうか。藤田と松下を取り上げてわかりやすく自説を展開した姿勢は非常に好感の持てるものである。それも韓国人で女性とは大変なものである。

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