エラスムス「平和の訴え」箕輪三郎訳岩波文庫1961年(原書1517)
初めに
この本の翻訳は箕輪三郎となっているが、途中で亡くなったため二宮敬氏が翻訳したものと考えられる。
また平和の訴えは、当時の戦争をつぶさに知っていたエラスムスだからこそかけたものでもあり、かつそのほかにも平和関連の著書は連続的に書いたものの最後のものだそうだ。
まずこの平和の訴えは当時の官房長官であった人からカール王子の教育書として作成を依頼されたもののようである。要するに賢明な王としてはどういう事を考えどういうことをするべきかせざるべきかというある意味帝王学のような教育書であることを目指しているようである。またなぜ彼が、そのような要請を受けることになったかというのは、彼は当時において国際的にみて相当レベルの高い知識人としてつとに有名であったようである。かつ彼の本はラテン語で書かれていたため、ちょっと庶民には通用しないところがあったが、いまでいえば国際流通語としての英語で書かれたようなもので、国際的には多くの知識人の読むところになったようである。痴愚神礼賛も同様であるが、彼の書いた本はどれもかなりの版を重ねたベストセラーであった。そういう知識人がその国の顧問官となるという事はその国の重みを増すというか権威付けとなるようである。
以上のことは解説に書いてあり、そのまままとめたのであるが、この解説を読まないとこの本の価値は分からなともいえる。
平和の訴え
という著書は、何が特別にすごいのかという事はない。この表題が素晴らしいという事ではないか。しかし無知を承知で言えば、これから王様になる人にまともな平和論を教えるという事が今から考えるとチョット常軌を逸しているのではないかと考えられる。マキャベリの「君主論」との比較してみるとわかるが、エラスムスの君主論は平和の王として、王国の人々のためになることをするのが王であるという思想である。人々のための王としての教育書を作ったのだ。人民のためのというリンカーンの言葉を思い出す。だからこの平和の訴えは、ものすごい特別な論理で書かれているわけではなく、今の人が読めばその通りであるな、と読み過ごしてしまう程度の感触である。しかしよく読めば、この本の背景となる問題が隠されており、この遍歴知識人の政治や戦争に関する捉え方は国際性という視点から非常に普遍的な目を持っていたという事がわかる。行間にそう書いてある。
エラスムスというひとと時代状況
エラスムスは、思想史の中では日本人にとっては地味な存在である。ルターや書簡を取り交わしたトマス・モア程の華々しさはないが、当時のギリシャ語聖書の校訂などを綿密にして現在につながる業績を残しているのである。15~16世紀にかけてのヨーロッパの知的世界のうらやましいほどの交流がこの本の背景にはある。それは知識を求めて遍歴したことによってなのか(当時ギリシャ語を習得するためにはイタリアへ行く必要があった。)、そういう交流が生まれつつある時代であったのか。新しい時代がもうそこまで来ていたのである。ヨーロッパを根底から変えた宗教改革が始まり、近代の世界の扉を開いた人たちがそこにいたの。旧教か新教かとかツヴィングリとか過激なアナバプテスト派やトマスミュンツアーなどが登場して来る時期であり、またそれは同じキリスト教同士が殺戮しあうという悲惨な状況が生まれていた頃である。思想の違い、利害状況の違いはあるにしても殺し合いをすることはどれだけ悲惨なことかという事をエラスムスは身をもって知っていたようである。旧教も新教も自己の思想に忠実なら戦争は起こらない。その思想と正反対のことをしても恬として恥じない、そこをエラスムスはついているのだけれど。いまの世界にも当然通用する。悩み苦しみつつ現実と向かいあう。白か黒かではなく、本当のところは何なんだというその疑問が長く続くのが現実だろう。そういうところが感じられる本ではないか。
(ユマニスト、ラブレー、渡辺一夫、大江健三郎、二宮敬など関連する人)