先進国に共通の思想、新自由主義とは

新自由主義、その歴史的展開と現在、デヴィット・ハーヴェイ、監訳渡辺治、作品社、2007年

デビィット・ハーヴェイは1935年生まれ、経済地理学者、原著2005年発行(ということは著者70歳の時の作品)

この本は、新自由主義という、世界先進国を覆っている考え方の基本を分析してみたものである。最後にどういう対抗軸があるのか、解決策はあるのかというところはちょっとよわい部分であるものの、新自由主義に関しての特に経済に関する本格的な分析であることには間違いない。(前回のブログで取り上げた、森政稔氏”戦後「社会科学」の思想”の新自由主義と取り上げ方が多少違うが基本的な見方は同じである。)

本の内容

まず、この本の出発点は、イギリスのサッチャーの政策から始まっている。確かにここにすべての新自由主義的考え方が出ていると言える。一つは国営の産業部門を民営化するという難問についてはサッチャーは鉄の女として実現した。その後に続く先進国はこれを真似できることになった。日本でも同様に、国鉄の民営化、郵政の民営化と続いたのである。これを可能としたのは、イギリスの改革の実現例があるので日本でも可能となった。これはその他の先進国も同様のことをせざるを得ない状況となり多くの国で民営化が叫ばれ実現していった。民営化すれば効率化できるという。これは世界的にそういう方向に動いた。この民営化の発想は、当時のイギリスの強い労働組合の、日本も同様だが、問題もあり、政府財政を長年苦しめてきたものであった。それはまたイギリス病ともいわれ産業の衰退、景気の後退が長い間続いていたのである。その後世界的には水道、年金、地方自治体、さらには一部の軍隊などの政府関連機関でしかできないと言われているものを民営化する動きが加速化されている。この動向が新自由主義的と言われる。これは、分かりやすく簡単に言えば、自己責任化である。自分のことは自分で責任を持てという事だ。貧しい人は貧しくなったを責任を取れ。失敗した人は失敗したという責任は事故にあるのだという。政府の支援は出来ません。自分で解決してくれという事だ。日本ではこのことが言われたのは危険地域、紛争地域にいきそこのテロリストにとらわれた時に盛んに自己責任だという事が言われた。私が見るところによると世界的にこの発想はますます顕著になっているように見える。つまり我々は自由なのだから自由の代償としての失敗や貧困は自己責任である、というものである。一方で自由が強調され、負け組を自己責任化する。これが支配層、政府エリートの発想の原点でありまた、これが国民的に理解されやすい同意を形成しているわけである。だから社会的に保護されている人たちを、ヘイトスピーチではないが、彼らが極端に嫌う現象もこのことから出てきているように思える。軍事主義も戦争で負けたら自己責任なのだ、という発想から軍事防衛的、憲法改正的な発想に自然にたどり着く。これは右翼だからという事ではない。安倍政権も小泉政権の延長上にしかないのである。そういう新自由主義的経済の運営は自動的に行われていくという事になる。

 

特色ある中国的新自由主義

この本のなかで一番精彩のあるのは、中国に関しての個所である。それ以外のところについては若干今読むと古いところもあるが中国に関して、資本主義的流れを新自由主義的ととらえられるような分析となっている。この個所はジョヴァンニ・アリギの「北京のアダム・スミス」での分析と類似しているともいえる。

彼のあげている一番新自由主義的と言えるのは、農業人民公社から郷鎮企業の創出であろう。これは明らかに集団責任制から個人責任制の導入である。それにより成功した郷鎮企業が続出したのである。(1995年には1億2800万人の雇用)こうした民営企業の成功が中国を引っ張っていった。それについてい行ったのが国有企業である。しかしその後の中国ではこの国有企業は相当な重荷となっているようである。特に銀行。これらの国有企業が今後どうなっていくか。新自由主義の一番の特徴である、個人責任制によって爆発的に中国は成長してきた。その間、解放特区や沿岸開解放都市などの特殊な政策を通じて中国の経済を成功に導いてきたのである。一方で天安門的な香港的な問題は一層強まっているが、この種の問題については暴力的、抑圧的、管理社会的である。

但し、中国の賢明さはこの経済発展という事に関してはアジアの他の小国以上に日本からも学んだという。これだけの外資を導入しながら、外国資本が引き上げた時の凄惨な状況は生まれなかった。またバブルだと言われながらそれほどの大きなショックはなかった。この原因としては、ハーヴェイの本には書かれていないが中国的賢さが随所に出たのではないだろうか。例えば減税優遇策一つとっても、その土地やその事業から逃げ出すことはできないのである。それは大連で東芝がテレビ事業をやめると宣言した時に事業継続期間の土地代、税金を優遇された分をさかのぼって払っていけというような厳しい政策があった。このため海外事業主は相当な期間を中国で仕事をせざるを得ない状況に置かれてしまうのである。また資本も全部は持って帰れない。利益もそうであるが、その金は中国で使う事しかできない。だからある日本の企業は、中国で大きな利益を上げていても現実のキャッシュは増えないというようなことがある。その巧みさには感心させられる。

そういう意味では政府の指導の徹底さというものが日本やシンガポールから学んでいったと思われる。ハーヴェイは一方で経済覇権を狙い管理国家化しているという事を新自由主義的と言っている。

 

結論的に

ある意味新自由主義という言葉が今ではあまりに広い風呂敷になってしまったのである。日本とアメリカの共通項は分かるが違いがはっきりしない、中国とアメリカは経済覇権的であるがどのような構造的な違いがあるのか、政策立案過程における類似と違いなどが今後はっきりさせられる必要もある。またそのご各先進国はどのような発展をしていけるのだろうか。アリギの本ではないが経済的覇権国が世界を牛耳ってしまうのか。アメリカは世界の軍事から撤退しそうな傾向も見せている。また民営化のその後はどうなっていくのか、医療や水道、高速道路、軍事などもどんなことになっていくのか。但し日本の郵政の民営化でゆうちょ銀行、かんぽ生命ができたが問題が生じた。しかしその社長は政府から派遣されるのである。こういう政府から民間へといっても政府系が指揮し指導していくのには本当の効率化があるのか。そういう例は枚挙にいとまがないので相変わらず無駄な失敗を繰り返しているようだ。だれが責任を取るのか。

森政稔氏(戦後「社会科学」の思想)が言ってる新自由主義もこのハーヴェイの論調を踏まえてのものである。先進国共通の思想は今後どうなっていくのか知りたいところである

また、新自由主義という言葉が出てきたら、このことだと考えればよいのである。

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