岩波文庫、ホッブス著、ビヒモス、翻訳山田園子、2014年発売
概略
イギリスの1630年あたりから、1660年あたりまでの歴史を中心として、そのイギリスの内戦状態の原因について分析した本である。王が処刑されてから王政復古までの間の激戦の状況である。最後はクロンウェルまで登場する。なぜこういう事が起こったかという事のホッブス流の分析である。若い人とホッブスらしき人との二人の対話で話が進んでいく。若い人が質問してホッブスらしき人が答える、というのが連綿と続く。
このほんを読む人はどんな人だろう。ホッブスだからと言って読むのか、イギリス史の一環として読むのか、いろんな読み方があるとはいえ、歴史の一ページの話を事細かに読んでどうする、というのが、この本を手にした時の第一印象である。
ある意味これも古典である。とっつきにくい、しかし味わい深い。そう思える箇所が沢山出てくる。
ホッブスは今の言葉でいえば体制派である。王側の見方をしているのである。民主主義というものを知っているようだが、それが素晴らしいとは全然思っていない。彼の理論である自然状態では人間は何をするかわからない、だからある支配者に合意の上で、規制=法をゆだねて自然状態の危機を和らげようとする考え方の持ち主である。弱肉強食であり人は他人に対して狼であるという。しかしそのホッブス流の考え方をまとめたリバイアサンに通じるのであるが、まだこの本ではあまり理論化されてはいないようにも感じる。つまりこの内戦をみて彼の政治的理論が作られてきたと思っていいのかもしれない。
背景にあるイギリスの学問の先進性
この本を読むとびっくりすることがある。民主主義、共和主義、専制主義などの政治形態についての知識が豊富にあること。また主権概念、国家、国、国民というものを定義しているわけではないがその種の学問の裏付けがすでにあったであろうと推定される。特に国民についてはマルチチュードという、ネグリが使っている言葉が出てきたのにはびっくりである。近代思想の走りであることは間違いがない。
話を簡単にすると
この内戦の主役は、王、貴族、国教会、カソリックの教皇、議会(貴族院と庶民院)、長老派の牧師たち、更に庶民、これにアイルランド、スコットランドなどの諸国が加わる。特にこの時期は、議会派が非常に強くなっていて王と戦えるような権力を少しづつ掌握していく。その議会派の論理をホッブスは徹底して非難する。それは論理的はないという事と法の精神に合致しないまた国家の安全に寄与しない、平和構築的ではない、ということ。嘘がまかり通る。今でいう大衆政治が執り行われたという。
特に彼は、義という言葉、ライト、ジャスティス特に正義と訳されるジャスティスをないがしろにしている、と主張する。これはヨーロッパ特有な問題である。教会法これは庶民、王にとっても王権神授説なるものもあったくらいで、聖書を教える、教皇や主教は神の霊を受けている神の代理人と考えられたくらいなのである意味抑圧的に重要な法であった。。そして人々もそう考えた。だから教会の権威(支配者型宗教=大塚久雄)は強烈であった。そこに長老派というプロテスタンティズムが登場して、これは王は許されざる存在であると吹聴しまくり扇動した。その意見が庶民院に反映され、思想と法の混乱が起こってきた。つまり世俗法と宗教法がぶつかり合っているのである。この混乱が内戦に拍車をかけた。そして議会派の宣伝や誇大な嘘、こじつけの論理、誤った法論理によって王や主教や貴族や関係する人々が有無を言わさず処刑されてきた。あのロンドン塔で。
結論的に
ホッブスは王に国の内部の自然状態の危機を乗り越えるための支配権を合意の上に譲渡することによって平和と国家主権を確保するのだという論理である。そういう思想なのでこの本を読むとホッブスは保守派なんだと感じるようになるだろう。
しかしよく読むとこれは王の問題ではなくて、優先されるべき自然法、自然権、平和、国家主権の問題であり、極めて現代的な問題の端緒を切り開いている感じがする。
この本を全面的に理解したとは当然言えないのではあるが、ホッブスはこの王党派と会議派との戦いからこの自然状態、自然権、自然法というものを理解して思想までにしたのではないか。
古典の価値というのは決して安直な分かりやすさではない。分かりにくい、一見とっつきにくいというところに特徴がある。なぜか、ある概念を手に入れそうな所にいるからだ。分かりやすい説明ができないのである。
ついでに、
この表題のビヒモス、という言葉知っているだろうか。
これはヘブル語のベヘモスから由来している。これはヘブル語では動物である。一般的には動物という意味がある。しかし旧約聖書では創世記、ヨブ記に出てくる。リバイアサンは水の怪獣である。ベヘモスは陸の怪獣である。カールシュミットは「陸と海と」を書いている。旧約聖書は天地創造の前に混乱と混とんがあったことを前提にしており、その混とんの原因であるのはこの怪獣である。混沌を制覇した神がヤハウェなのである。これは旧約聖書では常識となっているようである。イザヤ書などにその痕跡であるものが出てくる。