吉本隆明を知っているだろうか?

吉本隆明、戦後史詩論、大和書房、1978年9月発行

 

1、吉本隆明を知っているだろうか。

二女は吉本ばなな、作家、長女は漫画家。娘の有名さで親父も晩年忘れられたころには再度有名になった可能性もある。

ウイキペディアなど見ると、60年安保の時に活躍した。また今の東工大を卒業後東洋インキの青砥工場に就職、その後は特許事務所などに勤務していた。

60年安保の時に品川駅でデモ、そこで警察に捕まる。そのころ丸山真男批判などを書き丸山と大論争となる。知識人づらしている人は信用できないとか、しかし藤田省三に師事したとあるから、その藤田の師匠の方を批判したということになる。この丸山批判はその後の東大紛争でもその残響がかなりあったと思われる。詳しいことは不明であるが。

2、なぜこの本を読むのか

吉本隆明とは我々の学生時代には左翼的な超有名な評論家であった。学生運動の思想的な支柱ともなっていたようにも思われるが、私はこの人の本をほとんど読んでいない。今回のコロナ騒ぎの中で倉庫整理をしているときに3冊ほどの吉本の本がでてきた。吉本という人は何を言っていたのか、若いころの失われた記憶を取り戻そうと、彼の本をもう一度読んでみようという気になった。本の中に書泉ブックマート、78年10月1日1200円という領収書(多分お茶の水にある書泉だろう)がある。学生時代というより社会人になりたての時期に買ったものだった。まだ学生意識が抜けなかったのか。一番とっつきのいい本という事でこの本を選ぶ。そのほかに共同幻想論や文学論などがある。

 

3、内容

1、戦後史詩論、2、戦後史の体験、3、修辞的な現在

いろいろな題名はあるものの戦後活躍している詩人を対象として論じている。というか戦争をくぐってきた世代、戦中世代がどのようにこの大戦を経験し、感じ、自分として態度決定はどうだったのかというような、戦争を通過し経過したことが詩にどのような影響を与え、どのような詩になっていっているのか。これを、中原中也や立原道造その他の戦前の詩とどのように違っているのか。基本的にはそのような内容である。

 

あとがきには、この戦後の詩というものはなかなか好きになれないという。好きになれないというものを書くというのも自分としては問題あるだろうと改めて考え直して、もたもたしながら書いたというようなことが書かれている。その言葉のわかりにくさ、文体、流れ、そういうわかりにくい、なかなか好きになれないような詩をある程度どのように理解できるかを彼なりの原則で切り分けている。

「戦後詩を背後から支えた動因は、いくつか考えられる。その一つは戦後詩人たちが社会的な体験において、もっとも戦争の前面に立たされた世代だったという事実である。」

「生野幸吉や秋谷豊の詩の世界は、八木重吉や中原中也や立原道造の詩の世界に比べてはるかに不安定であり、またいいかえれば、自然なものへの傾斜や依存の度合いは少なくなってきている。これを戦後的な共通意識でとらえれば、日本的な心情の土台をなしている自然的な秩序に対する戦いを、根源的な心情の世界によって行おうとしているところに、これらの詩人たちの独特の場所があるという事ができる。」p82

4、この本をどう思うか

論争好きな人であった吉本隆明の詩の解説と詩の歴史論である。独特なのは彼の分析が、詩人の社会性(どこに生まれ、どのような生活をし、どんな職業にいたか、あるいは地域性)などが当然ながら詩作には影響するが、そこを最初は非常に重視していたが、後半に入るとそういう問題的視点はなくなり詩そのものへ入っていくような分析となっていく。しかし、私にもこの現代史詩といってよいか戦後詩は現代音楽と同様理解されることを拒否する精神がある。理解されることを拒否というより今までの自己同一的音楽との決別という意志がある。絵画の抽象画でも同様である。抽象的アートと一緒である。しかし彼はその奥襞に入って理解しようとしていく。そうするとわかってくることがあり見えてくる。そういう発見の本でもある。遊びのような言葉、言葉の可能性というと格好いいかもしれないが、その歴史的に負わされてきた言葉の持つ印象や付きまとう感情などを振りほどき、乗り越えようとするような言葉の使い方をしているという事に気が付くのである。これが戦前の詩人にはないところの言葉の使い方である。これは確かに大きな発見であろう。歴史の重層の重みに沈んでいる言葉を開放していくような言葉の使い方である。

 

例えば一例であるが

 

吉増剛造(「風船」)の詩から

「ろっ骨を握って唖然としている俺たちの顔を」「俺たちははらわたに手を入れて、盲腸を引きずり出しゆっくりかみしめる」「魂というチッポケな奴を延髄のあたりから取り出してアンドロメダの方へ投げつける。」等々。誰もそれを見たこともやったこともないことだ。だからと言って≪不可能≫なことの比喩ではない。「間違いなく俺たちは続ける」というのが一つのモチーフであるように、修辞的な意味の強い意志的な可能と概念の実態の≪不可能≫を同時に提出することが行われている。この詩の不安定さはもちろん「おれたち」の位置の任意性からきている。言い換えればこの詩人を動かす衝動の不確かさから来ている。

 

・・・・というような解釈が加えられる。相当に吉本自身に引き付けての解釈のようでもあるが、説得力はある。但し使われている言葉を誤解しないようにしなければならない。こういう言葉の使い方、理解の仕方が力あるように見える。

 

4、戦後詩から現代詩へ

現代詩というのはそういう戦前にあったような自分の気持ちを率直に歌えるよう言葉を使ってはいない。その言葉の歴史とか、その言葉の使われ方の反省を通して、言葉の意味を逆転させ、転換させるような、現象学的にいえば現象学的還元を通している文体といっていいのではないか。そのような理知的な作業を施しているため難解であるが、逆にクイズ解きのような面白さも感じられる。詠嘆を隠して、自己主張を隠して言葉を操るのである。あるところでは吉本は言葉を補ってみて初めて分かるような詩の分析もしている。予備校の現代文の先生のように。現代詩は意思の、精神の直接性は見受けられない。そこまで詩文が高度化されている。成功しているかどうかは別でもあり、しかし多くの実験が必要なのである。日本語にとっても。そういうことを感じさせる彼の本である。自分で一人の詩を読んでみたい気にさせられる。このわかりにくい詩と向き合い、自分で解釈するという事が重要だ。これこそ現代である。

(旧全集の5巻に詩とは何かという文章がある。ここは折口信夫の呪術論、憑依論からスタートしている。)

 

追伸

吉本流は一つ思い当たるところがある。何かしら田舎臭いところが文章にある、と感じる。それは山形の工業高校に通っていたという事なのか。彼はそうはいっていないが民俗学的な成果をたくさん使っているような気がする。そういう土臭さ、泥臭さ、田舎臭さが彼の文体には付きまとっている。そういうところが、日本の若い人たちに知らず知らず享けてきたのではないか。根本は柳田国男やその他の民俗学的な問題意識に支えられているのはないか、と今はひそかに思える

 

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