天安門事件という中国人の青春の思い出

楊逸(ヤンイー)時が滲む朝、文芸春秋、2010年発行、(初出2008、文学界)

 

天安門事件のころに大学生であった主人公が、その後大学を退学させられて、日本へ来る。その天安門事件関係の人々の動向と中国人の日本での生活の一端を垣間見せてくれる。彼らの政治信条や中国にかける思いや、その前の文革からの影響など非常に短い小説の中にうまく取り入れて書かれており分かりやすい。内容は単純で分かりやすいが中国人の、多分、複雑な気持ちを言外に伝えている作品で芥川賞を受賞した作品である。

著者はどういう人か

著者は中国哈爾浜出身、父親は文革で下放させられた知識人。本人はその後アルバイトしながら日本のお茶の水女子大を出たというので日本語は堪能なのだろう。この時代というのは中国の急成長時代である。1990年から2010年という時期は、日本の中国投資が盛んな時期で中国語ができる人は日本では引っ張りだこであったし、中国では日本語のできる中国人も同様であった。中国でも特区を作って海外投資を増やしている時期で、私のいた会社もそうだし私自身もその勢いに乗って仕事をした時期であった。世界の工場といわれた時代である。だからアルバイトといってもやっていけたのかもしれない。

の小説は国境を越えた作品として注目される。(越境文学)リービ・英雄「万葉集」台湾の東山彰良「流」と同じである。戦後では陳舜臣、邱永漢などと歴史的にはこの系列に入るのかもしれない。

 

天安門事件という政治運動の時代。

我々の時代にも成田闘争というものがあった。また学園紛争(1968年から9年)というものも、遅くなった70年安保闘争というものは60年ほど盛り上がらなかった。私自身はそんなに深くかかわったわけではないが、全く関係がなかったわけではない。学生証を池袋の革マル派だったかその他のセクトかは知れずに取りに行ったこともあった。学生運動で捕まると全部学生証でわかってしまうので、あるところに預けるのである。同性の名前があるので過激派に呼ばれたこともあるし、私の住んでいる町でも過激派に殺されたという人がいた。学生運動が退潮していく頃に赤軍派(1971~2年)が注目されたのもそのころである。

これは天安門事件だからその後、1989年6月4日を中心とした日である。1980年代終わりから90年初期にかけて冷戦構造が終わりを告げる事件がいろいろと起こる。

 

この小説の面白さ

一つは文体がみずみずしい。若く華やいで勢いがある。また主人公たちの青春時代である。その時の先生の影響もあり、彼らの民主中国の願いは天安門事件の挫折とともに終わり、関係者は退学、また海外への逃亡などという激動があった。退学した学生はその後の栄達の夢は絶たれる。場所は秦都、中国の地図で見るとド真ん中あたり。秦漢大学と言うのは架空の大学かもしれない。その大学への入学の時のうれしさとか始まる寮生活の珍しさなどが生き生きと描かれている。自分たちの学生生活の始まったころをほうふつとさせるものがある。その挫折後しばらくしてから日本へきて仕事をしたり普通の庶民に戻っていくのであるが、主人公たちはまだ民主中国を願っているようだ。そして北京五輪のころにこの物語は終わる。若い中国人の政治意識がよくわかる。文革の影響後にどういう事を考えていたか。中国の若い人がどういう思考経路で、何を考えているのかがわかる。日本人と変わることのない人たち。国境、政治、などによって境遇が変わる。そういうことが言外に語られる。

 

興味深いのはパソコンの種類や尾崎豊などが出てくるのでどんな時代かがよくわかる。

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