「あまえ」の構造、土居健郎、弘文堂、昭和46年初版(1971年発行)奥付を見るとその後11年間に133刷というので、驚異的な発行部数であっただろう。インターネットに載っていたのは20年間で150万部、英仏独ほかの6各国で翻訳されているという。(これで計算すると1991年に150万部だからそれ以後もあるのでさらに上乗せされていることだろうと思う。これはまさにベストセラーである。)
1、この本を今更なぜ読む?
この本に引き続き、社会科学と甘えの構造、という本が出て、土居健郎、川島武宜、大塚久雄の鼎談が本になっていて、そこで、大塚が家産制社会をウェーバーのピエテート(恭順)の概念を甘えで再解釈したら、日本の個性というもの分かるのではないかというようなことを話している、という事でそちらに関心があったのだが、読んだつもりになっていた原本のほうをもう一度読む必要に駆られたからである。
2、甘えとは何か
乳児のころに母に甘えてお乳をもらう時期に甘えが発生する。生後8か月か1年くらいの間に人見知りを経験する。この時に母親が自分と違う存在であることを知覚しその別の存在である母親が自分にとって欠くべからざる者であることを感じて母親に密着することを求めること。(p81甘えの心理的原型)この時に本来的な甘えの構造が出来上がる。つまり母以外の他人がいることを知ったころ、乳飲み子が母から分離されようとする状況を母子一致によって取り戻そうとする子供の欲求の感情のようである。基本は関係するものの一致感である。
この感情というものは極めて重要で、のちに出てくる神経疾患などにもこの時期に十分甘えられなかった反動が後から甘えたいのに甘えられない感情として噴出する場合もある。人間は基本的に互いに甘えたい存在であるが、大人になるとそれを制御できるようになるのがふつうである。しかしこの言葉は日本にしかなく、西欧にはないという事である。また集団の間でもこの甘えの感情が支配しているので田舎から都会に来ると甘えられないので疎外感を覚えるという事が発生する。また西欧に言葉がないからといってその現象が全くないとは言えない。言葉がないと理解できないし発見ができない、という事らしい。
3、内容
我々が無意識にしていることがこの甘えの構造の問題であることが、本当に多いという事を語っている。読んでもらえれば一々が納得できることでありなるほどと思わせられる。この中で重要と思われるところを少し引用しておく。
(義理と人情、罪と恥、気がすまない、内と外、天皇制、敬語、めでたい、悔しい、きままとわがまま、などは甘えの心性として理解可能である。)
①わびさび、いきなどの日本人の感受性についても同様であるが、著者は次のように言っている。
日本の感動の基調は甘えの心性であり本質的に幼児的である。しかしそれは無価値ではない。文化的価値として生き続けている。だが、日本人のそういう純粋さを誇ってばかりいられない。主格一致または主格未分ではなく、甘えを超克した先の自覚的に主格の発見が必要だ。他者の自覚が必要だという事が今後の課題である、という事。(p93結論)
②自由の問題;ヨーロッパにだけしか成長しなかった個人の自由という概念は実は幻想であった。キリスト教信仰の中にしか自由というものはなかった。日本には死の中にしか自由はなかった。「・・・もしこれまでの西洋人の信仰が自己欺瞞でありアヘンであったとするならば、そしてそのための絶望が時に彼らを死に追いやることもあったとするならば、それは彼らの隠れた甘えによって侵されていた証拠である。」(ちょっとこの箇所は難しいというより説明が不足しているようにも思う。)(p109)
③囚われ、対人恐怖症、;人見知りを卒業できなかった。
④鬱病;組織や集団の中で自分がなくなる。これは集団の中で甘えの心性として集団と一致し帰属したいと願うがそれがかなわなくて起こる病気である。
⑤同性愛的感情;これは夏目漱石の「心」を引用しながら説明している。同性愛感情とは異性愛感情より優先する場合をさす。この同性愛感情も甘えの心性である。甘えの心性を持ちながら尊敬し、近づいたりすることがのちに大変な裏切り行為を誘発する、という漱石の小説「心」を甘えの例として挙げている。甘えの恐ろしい面である。
⑥被害者意識、被害者感情(全共闘やニューレフトの場合と関連させて);この感情は、全共闘やニューレフトなどの考え方に基本的には存在している。被害者という抑圧され、差別されている人たちへの同情というものが根っこにあってその人たちと被害者感情で一致したいという欲求がある。これが甘えの心性であるが、そこまではいいのであるが、「自分も自己否定という自分の特権を解体したいと願うが、その被害者と同一化してしまう。自己否定は自己同一化と同時に起こる。このことによって自己固有の存在を否定して、またそれゆえに罪悪感も否定してしまうのである。彼らは自らを被害者として意識して加害者を攻撃するのである。出発点の自己否定が無理があればあるだけ、そこから結果する行動は戦闘的暴力的とならざるを得ない。このような被害者意識は、二重の屈折した甘えの心理だ。もともと被害者心理が甘えの不満に由来しているが、主体的に選び取った被害者意識は苦痛を感じさせることが少ない。それゆえに自分が被害的心理を持っているが故に他に危害を及ぼすことが平気になる。」(この引用は多少削除して短くしてある。p201,202、このあたりのことは私にとっては耳の痛い話である。)
4、これから
土居健郎氏はその後もいろんな甘えの構造についての事例をだしている。これが単なる日本人論ではないところが非常に重要だ。精神科の専門医としてこの言葉を手がかりに患者との面談を行い治療をしていくという。そのごにこの研究は精神科の中ではどうなっていったのかは知る由もないが、今さらに読んで深いところを探った本であることは間違いがないと思った。