なまこ交易からアジアを理解する

鶴見良行「ナマコの眼」筑摩書房、ちくま文庫、1993年第一刷発行、

この本は、前回の「エビと日本人ⅱ」の村井吉敬と同じグループで書かれた「バナナと日本人」の著者である鶴見良行が書いた本である。

(このブログを読んでる方の中にはアメリカやオーストラリアの方もいるようで、当地にもナマコの料理があるのかもしご存じであればメールでもいただけると感謝です。)

この本の概要

ナマコを通してアジア全体の歴史的、社会的、技術的、民衆生活史的、交易史的つまりアジア全体の歴史がよくわかるということである。「歴史」というのもすでに近代のヨーロッパの文化的影響を受けているわけで、大体が植民地を建設したあるいは植民地支配を強行した側の支配者の「歴史」となっているのでその見方ついては、その価値観を客観化しておく必要がある。しかし今までそうは言っても歴史資料というのは大体が支配者のものであった。多くはイエズス会の宣教師たちのローマへの報告だ。それが我々の「歴史」かというとそうではない、とこの本は語っている。それは「歴史」と言えないのであるが、逆に公定の歴史学をひっくり返すような見方をこの本は提示している。実に面白く、実に批判的にこの本の向かう先はどこまで行くのだろうというワクワクした感じさえある。早くお亡くなりなったのが悔やまれるところだ。またこの種の学を継いでくれる人たちがいるのかいないのか、そういうこともよくわからない。村井吉敬氏がリードしているのか。

この流れは一つには網野義彦氏の歴史学があり、そのほかでは「ハーメルンの笛吹き男」を書いた社会史の阿部勤也氏の流れに似ているが、相当違っている。この辺りの事情については解説の狩野正直氏が少しだけ語っていて、網野義彦には親近感があるという。(こんなことを言ったら怒られるかもしれないが、その知識、博学については司馬遼太郎をしのぐだろう。比較するのはどちらにも失礼かと思うが。)

内容

これはなまこという海産物の取り方、地域、料理の仕方、干したり、戻したりの調理法などからアジア全域で交易があったことを丹念に調査したものである。単なる調査ではなく、アジアの歴史的、社会的問題を深くえぐり取るための調査なのでありかつ上にも述べたように今までの学問をひっくり返すような力技が奥深くしまわれての調査である。

最初は太平洋の島々でのナマコの採取と調理法が取り上げられる。またその交易ルートなど。その後はインドネシア周辺に移動して、これが植民地時代にどのように取り扱われたか、植民地支配の眼が逃れていたのか、そこから北東アジアにいき、日本、韓国、ロシア、中国のこの料理をめぐっての大交易、とその関係を探っている。日本では松前藩がこの商品をどうもアイヌから奪ったようで、このアイヌから奪った製品を中国へ密輸していたようだ。また、これを通常のルートでは長崎へ日本海ルートで持ち込むのである。そこから実際は正規ルートとして輸出が行われ、基本的には中国、香港の金持ちの口に入るようだ。中国はやはり山海の珍味が好きと見えてこの大需要先である。また日本では、明治以降潜水具をつけての取り方があったがあまりに乱獲されるので禁止されているが、日本が韓国へ出兵した時にはナマコ漁師がどうもついて行っている。そこで韓国のナマコをごっそりと乱獲したようだ。水産関係者が軍にくっついて食料を供出するのは日露戦争あたりから学んだことだという。また明治以降あまりにナマコが売れるので中国ではどのような料理の仕方があるのかとかどの地域で売れているのかという、官の調査があったようだ。

この本の白眉は

第三部、東インド諸島の人々、マカッサル海峡という個所ではないか。

マカッサルナマコ文化圏という言葉を使っている。マカッサル海峡というのは、フィリッピンの南、カリマンタンとスラウェシとの間にある海峡である。またマカッサル港というのがあって、東インドネシアで最大の交易港だ。またここの住民は何か生き生きとしているという。このほかには有名なマラッカ海峡がありこちらは植民地と資本主義を支えた海峡である。要するにここでナマコを主として採取し乾したりして(干しナマコをいりこ、という、例の小魚の乾したものとは違う。)海外特にアジア全域、および中国向けの輸出商品として扱って交易をしていた人々がいたのである。この領域が鶴見によれば植民地主義が通用していない領域だという。その植民地主義からは関係なくアジアの中で交易が生まれてきているのである。また昭和12年に南洋庁の依頼により高山伊太郎という人が真珠貝の調査でこの近辺に来ており、ナマコについても書いている。彼は技術士としてマカッサルというところがこのナマコの生育には非常に良い環境だとしている。彼の調査は徹底していたようで、これほどの真珠貝の調査は見たことがないと鶴見は言う。

以上詳細は省くが、いずれにせよ、現地のフィールドワークおよびありとあらゆるところからの持ってくるところの文献、宣教師の報告、イギリス本国への官僚の報告などを駆使してインドネシアのマカッサルナマコ文化を解明してるのである。

また彼の調査はわかりやすく言えば、江戸城を作ったのは太田道灌だという歴史教科書の発想から全く離れており違っている。其れは大工であり、民間の労働者であった。その労働者はどういう階層であったか?そこに外国人はいたのか、どういう技術があったのか、いくらぐらいの賃料を払っていたとかそういう細かい研究である。

読後

この本ははっきり言って非常に長い(索引を入れると600ページ以上)うえに、アジアの特にインドネシアの東地域の名前が非常に多く、グーグルマップやグーグルアースがないとわからないだろうとおもう。これがない時代の読者は大変に困ったと思う。日本にそういうところの地名が詳しく乗っている地図はほとんど売っていない。

自分でこの地域を歩くというような事は多分この時期も含めて将来も相当にむつかしく思われる。だからせめて鶴見とともにこの地域を歩いているような感慨にさせてくれることはありがたいと思う。そして歴史の見方を根底から変えてくれる。そしてこういう見方が非常に面白い上に現代日本を考えたり、われわれの今までの教育というものの限界、そういうものの刷り込みによるイメージを大きく変えてくれることになるだろうと思う。またこういう勉強というものに希望でてくる。名も知れぬ人たち,海民というのは日本でもそうだが農民、コメ主体の日本人世界では長い間忘れられた人々であった。そのうえナマコである。これもマグロは論じられるがナマコは論じないということである。彼はこういう忘れられても仕方ないような商品にヒントを置いて世界を理解するすべを見つけた。大変な業績と思う。是非一読をと願う本の一つである。

この本は、3分の2はすでに読了していた。それも何年か前に相当時間をかけてやっとである。しかしここで最後のほうを一気に読んで彼の著作の意図というものがはっきり分かったところである。

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