ユダヤ教とキリスト教の連続と断絶

ヤーコプ・タウベス著、パウロの政治神学、高橋哲哉、清水一浩訳、岩波書店、2010発行
1987年2月に、がんに侵されていた著者が残された時のないときに、(翌年にはなくなっている。)ハイデルベルグに招待を受けて4日間の講義をした。

これをテープからおこして文章にしたものがこの本である。タウベスという人はあまり知られていないが、ユダヤ人、ベルリン自由大学でユダヤ学、解釈学の教授であった。

1、 なぜこの本を読むのか
パウロといってもパウロの書いた新約聖書にあるロマ書をめぐる解釈を基本として歴史的にパウロがキリスト教成立時にどんな思想を抱き、どんな意思でロマ書を書いたかというような記述である。ユダヤ人から見たパウロ像だが今までのものとは正反対である。パウロのユダヤ人性というものがどこまでも貫かれているという立論に驚きの感覚がある。(ロマ書はその後ルター、カール・バルト、日本では内村鑑三が著名)

2、ついでに
彼著者は1930年代のフランクフルト学派に非常に近いところにいたようだ。マックスホルクハイマー、ワルターベンヤミン、テオドールアドルノ、エルンストブロッホ、テオドール.アドルノ、そのほかにゲルショム.ショーレム(彼の先生)それに今度はヒットラーに近いグループのハイデッガー、一番影響を受けたのはカールシュミットとの交流、知的サークルにいた。ハイデッガー、とカールシュミットはヒットラーを支持したというので戦後悪評の高い人物となった。
僕の読後感でいえば、日本の聖書学ではとても追いつかないような内容ではないかと思う。ドイツのこの超一流のサークルの中ではぐくまれた思想と知識、問題意識それらを総括できるような学問、あの中東の古代に起こった地殻変動を自分のことのように語れる頭脳というものはたぶん日本にはないものではないだろうか。30年や50年勉強してもとても太刀打ちできるものでもないだろう。

3、 ポイント
カールシュミットの本で「政治神学」というのがあるがこれに導かれて、タウベスは語っている。パウロのロマ書は政治的な書である。ユダヤ教の律法からの解放を目指して書かれたというよりも歴史的にみるとかなり政治的であった。パウロはイエスを信じ回心した。そこで自ら使徒と宣言しローマ人への手紙を書く。このローマの時代状況を考えて読み直すと政治的選択をしていることに気が付くという。(ロマ書の語彙の解析を通して)また自分で使徒と宣言するところがユダヤ的であったという。つまりユダヤ的伝統の預言者召命と類比可能である。ここでユダヤの伝統に沿ったのである。
またモーセはユダヤ民族を作ったといっても過言ではなく、エジプトからヤハウェの神の怒りをとどめてイスラエルの地へと導く。これも類比可能な現象である。つまりユダヤ人への神の怒りをとどめて異邦人キリスト教徒という民族を作り出す意思があったという。(モーセと拮抗するパルロ像の提示。)

4、これからの問題
この本を解説できるほどの力量は筆者にはないがこの本が重要でありロマ書の解釈を一変するような力を持ったものであることは間違いがない。ユダヤ人が内在的にユダヤ教とユダヤ人パウロを批判的にみていくということができても、逆にキリスト教の側にはなかなか内在的批判はできないことだ。ユダヤ教とキリスト教との連続と断絶のテーマはあまり詳しく語られたことはないのではないか。特に日本では。このあたりのユダヤ思想の推移についての本もそう多くはない。また彼の立論はフロイト、ニーチェ、カール・バルト、エルンストブロッホ、マルティンブーバーなどと最初のほうで上げた思想家との長い交流と、やはりユダヤ人としてヒットラーによる震撼させられる出来事の衝撃のゆえに、深く、深く歴史的事象に入り思索を深めることができるのではないか。
この後、J.アガンペンによる「残りの時」という本が出ている。これはタウベスの影響のもとに、彼の出したいくつかの問題をさらに深く探求しロマ書を解説する哲学的本である。タウベスへの献辞付きである。(岩波書店)
もう一つ最後につけ加えるならイスラムの成立、ムハンマッドの思想はユダヤ人キリスト教徒の思想、伝統を正確に写しているという指摘は超重要な指摘だろう。

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