文人の恐るべき戦争体験

新・日本文壇史、第6巻文士の戦争、日本とアジア、川西政明著、2011年発行全10巻岩波書店刊
伊藤整の日本文壇史の精神を引き継ぎ、夏目漱石から井上靖の死までを扱い日本の文壇の実像を示すと奥付には書かれている。

この巻はこの10巻の中でも異色である。作家と戦争をテーマにしている。

これは大変な書であると感じる。大変細かな史実を丁寧に追っている。作家の所属する軍隊とどこでそのような局地戦があったかというようなことを種々の資料から読み解いている。数多くの昭和初期に活躍している作家たちがアジアの戦争に参加していった。そしてその後には多くの戦争の作品を残した。私はその一つ一つが非常に重要と思うようになった。それはなぜか。引用されている文章からわかることは、彼らの書いたものは戦争の恐怖ではない。死ぬことの恐怖でもない。自分たちがした事への悔恨と苦しみであるという事に気が付いた。この事の重大さに感じてこのブログを書くことにした。

この本の中身はどんな内容か
ここに紹介する本についてぜひ皆様にも一読していただきたい、と強く思うようになった。歴史というのは書かれたものから理解していくしかない事がほとんどである。その中でこの昭和の著名な作家、文学者、芸術家など、特に作家であるが、この人たちも戦争に参加した。特に中国、満州、フィリッピン、マレーシア、ビルマ、タイ、などの大東亜共栄圏である。
その彼らが書いている作品、これに相当の歴史的事実が書き込められているのである。かなり詳細に。彼らは作家としての一面をもって一兵卒として、または従軍記者として、戦争に行っている。火野葦平、武田泰淳、野間宏、田村泰次郎、宮柊二、竹内好、高見順、阿部知二、石川達三、今日出海など。

苦しみの果てに書かれた作品
彼らの書いたものは苦悩に満ちている。現実の戦争で自分が行ったことに対して苦しんだ人たちの記録である。単に戦争で死ぬことに恐怖を覚えたという苦しみではないのである。自分がやったことがその苦しみの原因である。苦しみはてて中には自殺せねばならなくなる人もいる。そのくらい苦しんだ戦争の経験である。帰国後その罪と罰に苦しんだのである。そういうことを著者は丁寧に追跡している。戦争体験後の彼らの思想や行動の変化なども詳述している。この本を読んでわかることは、戦争体験を書いている苦しみに満ちた本がたくさんあるという事だ。こういう書というものを我々は忘れているのである。従軍記録も検閲を受けつつ書いたものであるが、(検閲基準というのがある)それでもリアルな苦しみを表現している。それはある意味の戦争の証言である。そういう証言をこの本は引用しながら彼らの思想に迫っていく。

共感と経験の必要性
ここで思うことは、戦争の事実というものをどこで何をしたかという記録的知識も必要だろうが、こういう作家たちの苦しみを共感して自分の経験にしないともったいないという感じがする。私もそういう本をほとんど読んでいなかったことに気が付くと同時に全く戦争というものを知らなかったと言える。

昭和天皇の拝謁記の出現
最近昭和天皇の拝謁記なるものが出てきた。これはNHKが入手したもので、初代宮内庁長官の田島道治氏が昭和23年から5年間天皇の言葉を聞き書きしたものである。新聞の見出し的には「繰り返し語る悔恨の言葉」、とある。これも重要な一つの証言である。そして日本の敗戦に関して天皇自ら退位や悔恨、反省などという事をしきりに言っているのである。ついでに言えば南京事件についても語っている。こういう証言一つ一つが非常に重要である。この戦争にかかわった人たち、強制的にかかわらせられた人たちは全員苦しんでいる、という事がわかる。しかし親父世代や戦後の関係者がいなくなる現代は何を言ってもいいという事になりやすい。否定する人もいない。真実の灯が消えかかってしまう。 真実を知らない日本人となってしまう。
しかし天皇の拝謁記をはじめとして、ここに残された著名な作家たちの戦争の文学は親父世代の共通の真実の苦しみを我々に教えるものではないだろうか。本当に読む必要があるのはこういう深い人間味のある文学作品ではないか。日本の今8/15に思う。

(そういう作品のほとんどは文末にたくさん紹介されている。)

コメントを残す