「ダブリンの市民」ジョイス作、結城英雄訳、岩波文庫 2004年発行(原著1914年)
何故読むのか
高校時代の英語の先生が「ダブリナーズ」という本を読んだら、と言っていた記憶があってずーっと気になっていた。朝の電車の中であったか帰りだったか忘れたけれど、電車の中でそう言われた。僕が大学では英文学の勉強をしたいとかといういい加減な話をしたのかもしれない。夏目漱石が英文学を専攻していたこともあり憧れとしての英文学を大学で勉強したいというようなことを言ったはずだ。夢想だった。そこから50年以上たってやっとこの英文学らしい本を手にしているのである。他に自分に少しでも影響のあって読んだのはT.S.エリオットの詩くらいか。他の詩人も読むには読んだがんなとなく感じることもなく今まで来たというのが実状である。だからそこまで英文学に特に執着もしないできた。それに小説はあまり読んでいない。
このダブリンの市民という題名
やはりダブリンの人々のほうがいいのではないか。市民という訳語にはたぶんほとんど意味はないだろう。市民の事を語っているわけではなく、アイルランドのダブリンにすんでいる人々のことを書いているだけである。ヨーロッパで市民といえば階級を指すのである。
この本の内容
この小説は15編の短編小説からなっている。それぞれの内容は、読んでもらえればわかるが、ダブリンに住む人々の情景を写真のように切り取ったものだ。ある時期の若い男が友達とこんな話をしたとか、その物語がどんな意味を持っているのかはよくわからないことが多い。それがおもしろいのか、面白くないのかもあまりよくわからない。ダブリンに住んでる人間ならあの付近の事かとか、たぶんこんな感じの若いお兄さんのことだとか、お姉さんのことだとか、そういう人もいたなとかイメージはすぐ出てくるのだろうと思う。ある意味手触り感のある物語である。起承転結風に何か事件が起こってその結果がどうであったかというような話ではない。静かに時間が過ぎていく。登場人物がいろんなことをしゃべり、思う。酒場や事務所やパーティで。しゃべっている。何か結論のようなものがあるわけではなく、しゃべっているうちに話が終わる。ところが劇的な終わりではなく、なんとなく苦いものが心の奥底に沈殿していくような感じである。そして日々が過ぎていく。しかしそこにある種の感情が盛り込まれている。文章の印象は明るい、さわやかな感じだ。しかし書かれていることは悲しい事や今の自分は何なのかと、つぶやいているようなやや暗いことがテーマとなっている。それでどういう結末になったというようなことはほとんどない。いったいどういう小説なのか、という感じもする。
特徴
この小説の特徴といえることがある。それは意識の流れ派とか言われているものと関係するのか。登場人物の主人公と思われる人の考えたり、思ったりすることが非常に長い。状況の説明はごく短い。たくさんの人がしゃべる。その文章の書き方だが、だれだれが『・・・・』と言った、というようにふつうは書くのであるが、だれだれが「…」といったというようなト書きが途中からなくなって誰が言ったか分からないようなしゃべっている言葉が連綿と続く。そういう文章を読んでいるうちに何となく自分もその会話に入っているような感じがしてくる。客観的な説明はなく出てくる人たちについては殆ど読者も既に知ってるかの如くだ。不思議な語り方、仲間内のような会話である。読者もその仲間だ。また突然だれだれが言ったという言葉も復活してくるが、それでもその不思議な感覚はずーっと残っていくのである。
印象
アイルランドの歴史が多分いろんな影を落としているだろうことは、なんとなくわかる。それに何か自分もその場にいるような感じさえするので、面白いといえば面白いのである。特に酒場の場面の会話などリアルであり私もいればこんな会話に参加しているだろうという臨場感がある。全体的なトーンは乾いていて、明るい感じ、さわやかな感じもある。読後に悪いものは残らない。しかしその明るい、さわやかさの中に悲劇的なものを隠している。だからやはり深いのである。もう少し、ユリシーズやフィネガンウエーク、ある若き芸術家の肖像など読み進めると何かわかってくるのかもしれない。この一冊では何ともしようがないだろう。しかし世界文学に触れたという感覚は残る。
最後に
一番わかりやすいのは、最後の少し長い短編の「死者たち」という題名の物語である。これは冬の夜(アイルランドは島全体が雪だったとある。)楽しいパーティが終わって、皆さんとの帰り際によくある光景であるが、出口でたくさんの人たちと楽しさのあまり異様にはしゃいでいた主人公が、みんなと別れて、奥さんと二人きりになってホテルの部屋に入ってからあることを告白される。その奥さんが告白した内容は彼女がまだ10代のころのある人との悲しい思い出であった。それを主人公である夫は聞かされる。その話を聞いて夫は奥さんにもそういうことがあったのかという深い感慨を抱く。そこでこの物語は終わっている。なぜその告白が出てきたのかは楽しいパーティが終わったころに誰かが弾いていたピアノの曲から突然思い出されてきた事だった。ここの書き方は非常にうまいと言ったら失礼になるが、有頂天になるほどの楽しいことと二人きりになった時の悲しいことが突然対比される。極端なほどで劇的な対比の仕方である。人生の陰影なのか人生の真実なのか、強烈に鮮明に表に出てくる。表面的には隠れていたものが浮かび上がってくる。人生とは何か、自分とは何かという疑問である。彼の世界に沈潜したい感じがする。